ロバート·M·シプリー(Robert M. Shipley)

ロバート·M·シプリー(Robert M. Shipley 1887–1978)

世界的なダイヤモンド評価基準4Cを具体的にまとめ上げたGIAの創始者。ロバート·M·シプリーはカンザス州ウィチタの小売宝石商としてジュエリー販売のキャリアをスタートさせました。ロバートは宝石販売で成功しダイヤモンドの専門家としてのイメージを築き上げましたが、宝石の専門的な勉強は一切したことがなく、実は宝石に対して無知でした。それでも時代背景的にも”物が有れば売れる”時代でしたので、ロバート・シプリーの事業は順風満帆に進みます。しかも世は第一次ダイヤモンドブームとでも言うようなタイミングでした。産業革命で人々に富みが分配され、しかもアフリカではそれ迄どこから来るのか?も定かでは無かったダイヤモンドが大量に発見され一般市民にも”頑張れば買える”そんな宝石として浸透してきたタイミングだったのです。商売自体は誰でも上手く行く時代でした。時代の波に乗りロバート・シプリーの事業は発展していきます。しかし、効果は宝石を販売すればするほどロバート・シプリーは宝石についての専門知識が無いことが問題だと認識するようになります。

程なく世界的な経済の転換点がやってきます。1920年から30年頃のアメリカは世界恐慌の中心地でした。1920年半ば恐慌のあおりを受けてシプリーの宝石販売の事業も倒産、当時の奥さんとはそれを機に離婚してしまいます。すべてを失ったロバート・シプリーは失意の中フランス・パリへ移住を決意します。宝石販売において何よりも品物の芸術性を感じることが重要だと考えたロバート・シプリーはパリで芸術を学び始めます。1928年にパリのルーヴル美術館でロバート・シプリーはベアトレス、後にGIAを共同で立ち上げることに成るBeatrice Shipley(ベアトリス・シプリー)と偶然の出会いを遂げます。ベアトレスは多才な女性でした。経済にも芸術にも長け、しかも多くの人脈も持っていたベアトレスは彼女の人脈を使って、ロバート・シプリーをルーヴィル美術館で宝石学の講師としての仕事に推薦したのです。ロバート・シプリーは英国ゴールドスミス協会(NAG)が提供する宝石学の通信教育に入学し宝石学を勉強し、同時に講師としてのキャリアも積み上げていくことに成るのです。

そうして宝石学を本格的にNAGのコースで学んでいく間に、自分もそうであったように”ほとんどの小売宝石商が宝石について無知である”ことに気が付きます。宝石商は販売する事だけに一生懸命で自分の扱い商材を良く知らない人たちが多かったのです。(※これは今もそうですね)この事を痛感したロバート・シプリーは教育を通じて宝石業界を専門的にする構想を持ってアメリカに戻りました。

アメリカには宝石の研究期間や教育機関は在りませんでした。GIAは米国初の宝石鑑別の組織として発足したのです。ロサンゼルスでは【ロバート・シプリーの宝石学予備コース】を立ち上げ広く生徒の募集も開始します。

ベアトレスと結婚したRobert Shipley(ロバート·シプリー)は宝石学の公演で全米を飛び回りました。その間ベアトレスは給与支払い等の事務系を担当し、様々な雑務も献身的にこなしました。事務業務の傍ら、ベアトレスは定期的に宝石や宝飾品に関して女性のグループに講義を開いて講演する様になりました。なかでもハリウッドセレブやハリウッドスター達に行った宝石や宝飾品の使い方講座は人気を博しました。まだまだ一般には宝石の使い方が浸透していなかった時代でしたのでセレブたちはベアトレスの指導によってパーティーでの振る舞いや宝石の使い方などを学んでいったのです。このような話題がきっかけで、宝石を買う富裕層の主流客がGIAの評価した宝石に魅力を意じ惹きつけられてGIAはこれまで以上に注目が集めるようになっていくのです。

GIAは世界中のどんな鑑定鑑別機関よりも宝石を最終的に手にする消費者に支持されていったのです。

宝石商はお客様の臨む品物を手配するのが仕事です。お客様からGIAの鑑別付き宝石のオーダーが多くなれば自ずとGIAには鑑定鑑別のオーダーが多く舞い込むようになっていきます。またロバート・シプリーは鑑定機関GIAの公認宝石鑑定免許を発行するようになります。

これは当初の目的の通りに”教育を通じて宝石業界を専門的にする”事から始まった資格制度です。併せまして宝石の知識を学ぶ学校も作りGIAは教育機関としても成功していくことに成るのです。4Cについて先行していたデビアスは主に原石販売において4Cを使っていましたので、リバーやウォーター等の原石の色を現す評価は大雑把に決めていたのですが細かく等級付けは在りませんでした。原石のグレードで使用される”ケープ”は南アフリカのケープオブグッドホープ地域の淡黄色のダイヤモンドの事で日アック的低品質のダイヤモンドの名前として流通していました。クラリティグレードに至っては「欠陥なし」または「欠陥あり」の二種類だったと言われています。またカットグレードも「よくできた」または「よくできていない」との2種類で、原石の場合は【ソーヤブル】【メイカブル】【ニアジェム】と工業用の区分けで取引がされていたのです。カラットだけは原石取引でも重要な要素でしたので1904年に0.3グラムと制定された国際基準を採用していました。

ダイヤモンドの4Cは後継者のリチャードT.リディコートによってさらに細分化され厳格な審査基準で評価されるようになっていきます。こうした最新のダイヤモンドの評価基準を導入した事でGIAは不動の地位を築きあげていくことに成るのです。

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