七夕神社 福岡
《七夕の伝説のある、ロマンの神社》
肥前国風土記にも記されている由緒ある七夕神社には、姫社神(ひめこそのかみ)と織女神(しょくじょしん)が祀られています。「織女神」は古代、布を織る仕事が女性にとって最も重要な仕事であり、それ故に女性の信仰を集めた神であるとされています。
7世紀末頃、中国から「牽牛・織女」の故事や技芸の上達を願う「乞巧尊(きっこうてん)」の信仰が伝わり、日本の「たなはたつめ」の信仰が結合して、地元の人達はこの七夕神社を七夕さまとして崇敬するようになりました。神社では毎年8月7日に夏祭りがあり、当日は全国各地から願いが込められた約30万枚の短冊が飾り付けられ、多くの人で賑わいます。七夕神社から宝満川をはさむ対岸に牽牛社が建立され、祀られています。牽牛・織女の二神が天の川に隔てられ、年に一度だけ七月七日の夜に出会うという故事にちなんで、1200年〜1300年頃に建立されたとの話もある、由緒正しい神社です。日本でも最も早い時期に七夕信仰が根づいたのだろうとされており、宝満川を天の川に見たて、織女と牽牛を配する古代人の信仰とロマンが感じられる場所となっています。七夕神社は、正式には姫社神社といい、肥前風土記(730年頃)の中に記述があり、当時既に大崎のこの地に神社がまつられていたことがわかります。祭神は、神社縁起に姫社(ひめこそ)神と織姫神と記されています。
また、今から千年以上前の延喜式という書物には各地から朝廷に差し出す献上品の一覧表が残っています。それによると、小郡を含む筑後の国の献上品は米と織物になっており、この地方は織物がたいへん盛んであったことがうかがえます。また、古来織物に携わってきた人々は織物の神として「棚機津女」という機織りの女神を信仰していました。この棚機津女の信仰と中国より伝わった織姫・彦星の物語が混然同化して、織物の神をまつる棚機(七夕)神社として親しまれるようになったと思われています。
古老の話によれば、「この神社は『七夕さん』として親しまれ、八月六日の早朝から翌七日の朝にかけて、筑前、筑後、肥前一帯から技芸上達のお詣りで大崎に通じる道路は参詣者が列をなした。」と語っています。また、宝満川を挟んでこの織姫をまつる七夕神社と相対して老松神社があり、ここに、大正十二年の圃場整備の際に合祀された牽牛社があります。天の川と同じく南北に流れる宝満川とその両岸にまつられた織姫と牽牛(彦星)は、天上の物語を地上に配したようになっており、そこには昔の人々の信仰とロマンが感じられます。パワースポットとしても大切にされている七夕神社。太古の伝説に想いを馳せつつ、お二人の新しい想い出を織物のように重ねてみてはいかがでしょうか。そして、ブリッジ銀座がおすすめする「ダイヤモンド&プロポーズプラン」で一生の思い出に残る素敵なプロポーズを♪
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《アクセス》
小郡市コミュニティバス下岩田・乙隈ルート 後川橋バス停より徒歩5分
西鉄小郡駅より徒歩25分