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トルコフスキー 家(案)

トルコフスキーは1800年代初頭に初代のアブラハム・トルコフスキーによって始まったダイヤモンド加工とディーリングの一族の名前です。アブラハムは家族と共にポーランドのビアリストクからベルギー・アントワープに移住します。アントワープは当時ヨーロッパのダイヤモンド貿易の中心地でした。アブラハムには9人の子供がいましたが、そのうち数人は、家族経営で彼と一緒に働いていました。アブラハムの息子2代目サミュエルとモーリスは、アントワープでも有名なダイヤモンドカッターとして活躍しトルコフスキー一家の地位を確固たるものへと確立しました。そして2代目のサミュエルはアントワープダイヤモンド取引所の創設メンバーとなり、最初の議長に選出されています。ダイヤモンドの粉でダイヤモンドを磨く

モーリスの甥っ子だったマルセル・トルコフスキーは9歳になるころにはダイヤモンドの研磨をマスターしていたと言います。しかし後年、彼は数学と工学に傾倒していきます。そして1919年に博士号を取得したロンドン大学で理想的なダイヤモンドのカタチを示した設計図を発表します。マルセルトルコフスキーが自身の著書「ダイヤモンドデザイン」の中で発表したこの設計図は2次元でダイヤモンド内部の光の進路を計算してあり、どのような角度でダイヤモンドを研磨すれば最も効率よく輝きを得る事が出来るのか?が記されたモノでした。ダイヤモンドの持つ光の屈折値を計算して研磨面に最適な角度を持たせることを提唱したのです。
しかしカイトファセットやスターファセットからの光が入射した場合など細かな部分の記載されておらず全体的に理論は不完全なものでもありました。その考え方は多くのダイヤモンド開発者の基礎となり、その後ダイヤモンド業界内で修正と検証が繰り返され1988年に現在のエクセレントカットの素案がGIAによって決定されるもとに名たことは間違いと言えるでしょう。

ベルギーのダイヤモンド業界は第一次世界大戦と第二次世界大戦でナチスドイツによって完全につぶされてしまいます。その為1940年にはトルコフスキー一家はアメリカへ移住します。マルセルトルコフスキーはその後50年ダイヤモンドトレーディングアンドプレシャスストーン協会、およびダイヤモンドディーラークラブで会長を務めます。

このようにベルギーのダイヤモンド加工業を生業とした一族、現在も活躍しており特にガビ・トルコフスキーは世界最大級のダイヤモンド”ゴールデン・ジュビリー”599ctと超高品質273.85カラットのセンテナリーダイヤモンドは、世界最大のD-FlawlessとGIAによって評価されています。

完全なダイヤモンドの研磨は1990年にフィリッペンス・ベルト氏の手によって達成された。その後トリプルエクセレント、ハートアンドキューピッドとベルト氏の手で次々と究極のダイヤモンド研磨が達成された。

ベルト氏の登場で終焉した開発競争はトルコフスキー案の発表から実に71年の年月を要したのである。14世紀から人類が追い求めたダイヤモンドから最高の輝き引き出すという夢はここに達成されたのでした。

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