リチャード T. リディコート(Richard T. Liddicoat)
GIAの第二代会長で「現在の宝石学の父」
リチャード T. リディコート(1918年3月2日~2002年7月23日)はアメリカの宝石学者、GIAにおいてダイヤモンドのグレーディングシステム4Cを確立した。また多くの新宝石を発見し、宝石学の書籍も多数出版し「現在宝石学の父」と呼ばれる。
リディコート氏は、ジェモロジカルインスティテュートオブアメリカ(GIA)理事会の議長。
1918年にイギリス・コーンウォール鉱山の労働者一家に生まれます。コーンウォールはヨーロッパでは錫などの優良な鉱山でした。幼少期から鉱物に触れる機会の多かったリディコート氏はそのまま鉱物学の道へ進みます。1939年ミシガン大学で地質学の学士号を取得し1940年には鉱物学の修士号を取得しアメリカの宝石鑑定鑑別機関GIAに入社します。教育部門のアシスタントディレクターに就任すると頭角を現します。彼の功績で有名なのは色石についてまとめ上げた宝石鑑別ハンドブック「Handbook of Gem Identification」です。これは現在も宝石鑑別に携わる人にとって教科書として使われており、宝石学で最も権威ある教科書のひとつとされています。
1952年にGIAの創始者ロバート・シプリーの後継者となりGIAのエグゼクティブディレクターに就任し、約50年間にわたって日本の宝石鑑別業界でも有数だった宝石雑誌「Gems & Gemology」の編集長としても活躍しました。
世界初ダイヤモンドの鑑定書を発行した
1953年リディコート氏はGIAダイヤモンドグレーディングシステムを導入しました。当時ダイヤモンドの評価基準はもう少し曖昧でした、ダイヤモンドのグレーディングはデビアスによってはじめられていました。4Cの内カラット(重さ)は国際的に定められた1カラット0.2グラムに統一されていましたが、色は白、黄色、や鉱山や産状名でリバーやウェッセルトン等の曖昧な表記しかなく、透明度も透明と不透明の大きく2段階、カットも良い悪いの大雑把な物でした。
そんな状況で取引されるダイヤモンドは神秘的で原石と研磨済みの宝石になった段階では大きく価格の乖離する個体も多く存在しました。GIAはもともと宝石の小売商が始めた宝石学サービスなので基本的にダイヤモンドを最後に手にする消費者目線であったのに対してデビアスは原石取引の方が大きなビジネスだったので取引先は原石ディーラーが主だった為に研磨済ダイヤモンドの品質管理についてそこまで神経質になっていなかったという事も有ったかもしれません。
リディコート氏はそんな状況だったダイヤモンドのグレーディングに踏み込み、色、透明度、カットに基づいて、無色から淡黄色の研磨済みダイヤモンドの品質をカラーグレードではD-to-Zの23段階に分類、透明度もFLIF~I3の11段階に分類するという画期的なレーディングシステムでした。これは現在でもダイヤモンド業界で使われている現行の鑑定システムと同じです。
1953年以降GIAでは宝石学の授業でこれを生徒に教えダイヤモンドを評価できるようにしました。そしてGIAは1955年に最初のGIAダイヤモンドグレーディングレポートを発行する事になります。
その後GIAは世界中の宝石小売商の信頼を得て特にダイヤモンドのグレーディングにおいて世界中の信頼を集めるに至ったのです。
※ダイヤモンドの鑑定基準については現在も世界中に様々な基準でダイヤモンドを管理する機構が有りそれぞれに歴史と実績信頼を勝ち得ています。宝石業界ではこれらの鑑定鑑別機関間のダイヤモンドグレードの差異を無くすために相互にミーティングを繰り返しダイヤモンド評価の公平性を高めており、GIA基準HRD基準など異なる評価システムの鑑定鑑別機関で鑑定されたダイヤモンドであってもその評価基準が統一されるように働きかけ合っています。