ギャビン・ラモント博士(Dr. Gavin “Doc” Lamont)
ギャビン・ラモント博士(Dr. Gavin “Doc” Lamont)はボツワナで最初にダイヤモンドを発見したデビアス専属の地質学者
ギャビン・ラモント博士は1920年に南アフリカのキンバリーで生まれ、高校卒業後ケープタウン大学で地質学を学びました。途中1941年には第二次世界大戦で中断しましたが、大学在学中にデビアスのコンサルティング地質学者ルイ・マレー博士に師事し1947年に博士号を取得しベチュアナランド保護領(後のボツワナ、この当時はイギリスの保護区だった)地質調査局で働き始めました。
約6年で地元の地質学に精通したラモントは、すでにデビアスを支配していたアーネスト・オッペンハイマーに見いだされ鉱山会社であるアングロアメリカンに採用されました。アングロアメリカン社はラモンと博士をデビアスに出向させ、ボツワナ東部の国境に沿ったトゥリブロック地域でのダイヤモンド探査を開始します。しかしこのカラハリ砂漠地域(ボツワナ)は他地域と比べて特殊な地質であり、ダイヤモンドの指標鉱物についてこの地域だけの特別な考え方で臨む必要がありラモント博士は独自の研究で指標鉱物探査技術を確立しました。デビアスは複数の小規模ベンチャーにもダイヤモンド探索をさせており、その中の1つでCASTという地下資源ベンチャーに愛弟子のマンフレッド・マルクス氏に率いさせダイヤモンド探索を続けます。そして1959年、フォーリーサイディング近くのモトラウツェ川で3つの小さなダイヤモンドが回収されました。
しかしデビアスはこれらのダイヤモンドが一次鉱床の物ではなく二次的な漂流物であると判断しラモント博士らの研究をもっと別地域で行うよう指示、CASTも資金難で解散してしまいます。しかし広大なボツワナの地でやみくもにダイヤモンドを探すのは効率的ではありませんでした。ラモントはデビアスに直談判し1964年に最初の3つのダイヤモンドが見つかった場所を再調査します。1966年までにダイヤモンドが見つからない場合はデビアスはこの地から撤退する予定でした。ラモント博士に残されていたのはたったの2年だったのです。