アフリカの奇跡
豊富な地下資源がもたらした歓喜と悲劇
アフリカの奇跡:1500年代から始まった列強によるアフリカの覇権争いは当初、東アジアの覇権をかけて補給地として重要だった喜望峰をめぐる争いでした。インドやアジアには豊富な資源が有ると考えられていたのですが、アフリカにはこれといった資源やん文化が無かった為に僅かに厳原住民との食料や家畜の物々交換が行われる程度で、地下資源採掘は行われていなかったのです。
長い歴史の中で土着民族となった白人層はボーア人と呼ばれていました。南アフリカの覇権が決定的にオランダからイギリスに割譲された1800年代初頭、ボーア人たちは喜望峰を追われ、アフリカ内陸部へ移り住み、それぞれボーア人による国家を宣言したのです。
これは1800年代終盤に世界で巻き起こった国家主義も手伝っていました。1900年代になって現地国家による独立によって喜望峰をめぐる列強の紛争は終焉を迎えたかと思われました。しかし、ボーア人たちが移り住んだアフリカ内陸部でダイヤモンドや金などが次々発見されアフリカは豊富な地下資源が眠る地として、列強にとって新たな覇権を争打ちとなったのです。
南アフリカやナミビア、ボツワナ等は豊富な地下資源をめぐって争いが絶えませんでした。結果南アフリカ周辺では政治的に安定出来て経済的にも成功できる状態となった国は限られていたのです。
最終的に地下資源をめぐって台頭したデビアスグループの誕生や周辺に多くの自治区や国も誕生させたのです。そんな中でボツワナはイギリスの保護区としていわばキープされた状態でいました。海に面した地域には既にヨーロッパの競合国が上陸し覇権を競う状況でした、しかし内陸で地下資源についてまだまだ未開発であった為最後まで手つかずだったのです。
南アフリカをはじめとするアフリカの強国に周囲を囲まれて独立した弱小国ボツワナ。もともとイギリスの保護区としてスタートした為に誰もが周辺の国同様にボーア人やイギリス人などの少数白人支配に飲み込まれ汚職や政治不安によって地下資源を他国に支配されると思ったていたのですが、人種間平等と民主主義の御旗を掲げた初代大統領のセレツェ・カーマ(Seretse Khama、1921年~1980年)は経済的繁栄を遂げて国際社会の寵児となったのです。
ボツワナのこの成功を支えたのは地下資源開発でした。オラパ鉱山の発見を皮切りに上質なダイヤモンドを産出する複数の優良鉱山を持つこのボツワナの成功をアフリカの奇跡と呼びます。