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コイコイ人(Khoikhoi)

コイコイ人は南アフリカ共和国からナミビアの海岸線から高原地帯、ボツワナ国境のカラハリ砂漠などのエリアに広く先住していた民族でです。以前はホッテントット(Hottentot)と呼ばれていた。コイコイ人とサン人を合わせた総称として、コイサン族と呼ばれる場合もあります。コイコイ人やサン人等のコイサン族はアフリカの最古の住民であると考えられており人類のルーツ的な人種である可能性が高いとされています。

1652年にオランダがアフリカに上陸し「オランダ東インド会社」を設立、ホープ岬を拠点に軍船の補給地としてこの地の支配を始めます。これによりこの地に定住者が現れるようになり、現在の南アフリカの白人層の始祖となります。

元々地元で暮らしていたコイコイ人は、強い政治組織も経済基盤も持っていなかったのですが、上陸してきたオランダ人と自由に家畜を物々交換するなどして経済的恩恵を受けていました。オランダ東インド会社の社員がケープタウンに定住するようになると独自に食糧自給を始めるために農場作り始めます。これをきっかけにコイコイ人らと度々揉めるようになってきます。するとオランダ人らはコイコイ人を捕らえて奴隷として迫害し始めます。オランダ人の中で農地獲得争いに巻き込まれる形でコイコイ人社会は徐々に崩壊に追い込まれていきます。こうしてコイコイ人は南アフリカにおける植民地の雇われ奴隷労働となってしまったのです。

1905年にはオランダやイギリスに代わって進行してきた列強国の植民地支配の波にのまれていくことに成ります。この頃、ドイツの一方的なアフリカ支配(南アフリカと西アフリカ現在のナミビア)に対してコイコイ族が(コイサン族)が一斉蜂起してホッテントット戦争が起こりますが、原住民であるコイコイ族と近代的に武装したドイツ軍では戦力差は大きく蜂起は直ぐに鎮圧され一方的に壊滅させられます。その後大きな虐殺と迫害を受けることに成ります。この虐殺をヘレロ・ナマクア虐殺と呼びます。ドイツ領南西アフリカ(現在のナミビア)においてドイツ帝国が先住民族コイコイ族に対して行った虐殺で20世紀最初の大虐殺とされています。

現在コイコイ族は完全に滅亡しています。豊富な地下資源を持つアフリカはこの後大国間の覇権争いに巻き込まれて先住民たちは奴隷として囚われ長い間迫害されることに成ります。

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