アントワープの月曜日
ダイヤモンドラッシュに沸く取引の聖地
「アントワープの月曜日」1870年から71年頃、ダイヤモンド業界は数か月の間に南アフリカから大量のダイヤモンドが持ち込まれた。これによってそれ迄半失業状態だったダイヤモンド研磨工の全てに十分な仕事が行渡った。
南アフリカで大規模な鉱山が発見されたというニュースが出ると、ダイヤモンドの世界的な需要は爆発的に増大した。これによりダイヤモンドを加工するアントワープの職人達も膨大な仕事が舞い込みサラリーが倍々に増えていくことに成ります。
ダイヤモンド業界全体の雰囲気は過去ないほど高揚し人々も未来の経済を楽観した。しかもそれを後押しするようにダイヤモンド加工業者の賃金は上昇した。結果として敬虔なカトリック教徒とユダヤ教の居住区で有るアントワープでは休日の日曜日には余暇時間を満喫する人が溢れた。
そして次の月曜日には一日をかけて日常を取り戻す事がダイヤモンド加工職人の間で習慣となった。この常態を取り戻すための月曜日を「アントワープの月曜日」と呼びます。
ダイヤモンド業界のこうした盛り上がりと経済を手にした職人たちの高揚を見てベルギーではダイヤモンド加工業に従事する人々を「陽気な人々」と形容した。
実際はこの後1880年代にはダイヤモンドが供給過剰に陥り価格が大暴落する事はこの時知り得た人いなかったと思われます。