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チャールズ・フィプケ(Charles E. Fipke)

チャールズ・フィプケ(Charles E. Fipke :1946~現在)

フィプケ氏はカナダのダイヤモンド鉱山を発見してダイヤモンド業界に新しい秩序を作り出した偉人。フィプケ氏はカナダの地質学者であり、カナダのノースウエストテリトリーのラックデグラ周辺のダイヤモンド鉱山”エカティ”の存在を発見した探鉱家です。現在、フィプケ氏は世界中の地質調査に携わって地下資源を調査採掘しています。フィプケ氏はまた、北米の競馬馬主としても著名で世界最高峰のブリーダーズカップの優勝馬など数多くの有名馬の馬主でもあります。

ダイヤモンド鉱山を発見したフィプケの活躍でデビアスの支配力は低下した

フィプケの活躍によってダイヤモンド採掘は新しい局面へ

チャールズ・フィプケ氏は1970年、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)を卒業、地質学の学士号を取得します。その後、南アフリカやブラジルなどで地学学者として仕事をする傍ら、自らもダイヤモンドの探鉱家として活動します。世界中の地層を調べている内に北アメリカ大陸には古い大陸棚キールが有りダイヤモンドを産出してもおかしくない土地である事を突き止めます。しかし当時の技術ではダイヤモンドパイプを狙って発見する事は困難でした。事実フィプケ氏もそれまでに自身で発見した数々のキンバーライトパイプにはダイヤモンドを含むパイプは在りませんでした。キンバーライトパイプにダイヤモンドが含まれる可能性は600分の1とも言われています。しかもダイヤモンドの発生条件として【マグマの上昇によって硬い花こう岩の層をマッハのスピードで突き破ってくることが重要だ】という事も解明されていませんでした。

フィプケ氏はダイヤモンド鉱山発見の鍵である指標鉱物の研究の専門家ジョン・ガーニー(John Joseph Gurney: 1940–2019)の協力を得て【低カルシウムのG-10ガーネットがダイヤモンドにつながる可能性がある】ことを突き止めます。ガーネットなどのダイヤモンド指標鉱物の存在はすでに知られていましたが、G10パイロープガーネットとエクロジャイト等の決定的にダイヤモンドに繋がる指標鉱物の特徴迄は解明されいなかったのです。ダイヤモンドのエキスパートであるデビアスもこの事は正確にこの時には判っていませんでした。フィプケ氏にとってはこれがとっても幸運な事でした。

フィプケ氏がカナダの氷河を調査し始めた時、南アフリカのダイヤモンド鉱山会社デビアスもカナダの地を狙って動き出していました。フィプケ氏はカナダに来る前にボツワナで優良なダイヤモンド鉱山”オラパ”を発見していました。当時デビアスはダイヤモンド原石の世界的なシェア80%以上を持つ大企業でした。それによってダイヤモンドの供給量をコントロールし価格の暴騰暴落を回避するシンジゲート制を作っていたのです。デビアスの総帥オッペンハイマーはダイヤモンド原石の供給源が発見されるとそれを強力な政治力で手中に収めていきます。
この時はまだ学生だったフィプケ氏は地下資源ベンチャー企業のメンバーとして鉱山探索に参加している実でしたので、其の企業の株を買い占めたり、採掘権を買い取るなどの地下資源に対するデビアスの巧妙な駆け引きについていくことは出来ませんでした。フィプケ氏らのチームで発見したボツワナの鉱山でしたが最終的にデビアス政治力で奪い取られフィプケ氏の所属していたベンチャーは鉱山の支配権を失います。デビアスの所有となってからはフィプケ氏らには全く利益が分配されなかったのです。※デビアスのこうした政治的な強硬手段に当時は大きな賛否が在りました。

その為カナダでダイヤモンドの鉱山を発見して成功する為にフィプケ氏は新しいダイヤモンド鉱山(ダイヤモンドの供給源)を発見する際にデビアスの力が及ばないパートナーと、デビアスよりも早く鉱脈を発見する必要が有ったのです。

フィプケ氏は確信をもってダイヤモンド探索を進めていましたが、世間はそれに懐疑的でした。【あのデビアスですら発見できないカナダで資本の小さな企業(個人企業に近い)がダイヤモンドを見つけれるわけがない】と、その為フィプケ氏のスポンサーは次々去っていきました。そこでフィプケ氏はカナダの証券取引所に自らの会社を上場し非常に安価で株を売り資金を確保します。1984年にバンクーバー証券取引所に自身の会社ダイヤ・メット・ミネラルズ(Dia Met Minerals)を設立します。言う迄も無くこの会社の株式はダイヤモンド鉱脈発見後に倍々に評価され最終的に地下資源王手のBHPビリトンに高値で売却されました。

カナダ北部の他を寄せ付けない過酷な環境はフィプケ氏にとって有利に働きます、G10の存在に懐疑的だったデビアスは思うような成果が挙げれずにいました。しかしフィプケ氏は地質学者として「ダイヤモンドと共に成長するG10等類似したミネラルの小さな粒子とそうでないものを自分で区別できた」事で着実にダイヤモンドパイプに近づいて行ったのです。仮にデビアスが先にダイヤモンド鉱脈を発見していたらダイヤモンド原石の世界的な市場は90年代以前の様に今も閉鎖的なままで、デビアスによる独占的な販売体制が続いていたとする専門家もいるほどです。

ダイヤモンドの指標鉱物が多く見つかり出し確実にダイヤモンドパイプに近づいている筈でした、しかしダイヤモンドの指標鉱物は多く見つかるモノの肝心のダイヤモンドパイプは一向に姿を現しませんでした。確かにこのあたりに有るはず、しかしダイヤモンドパイプは見つかりません、フィプケ氏らの資金は尽きかけていました。完全に氷河におおわれた不毛な大地では氷点下30度まで気温は低下し容易に人を寄せ付けない過酷な環境です。平坦な氷河の上を探索するにはヘリコプターとGPSだけが頼りでした。ある時上空から氷河を眺めていると湖そのものがダイヤモンドパイプなのではないか?と気が付きます。あまりにも巨大なパイプのサイズでしたが湖の下流を調べると指標鉱物と微小なダイヤモンドが見つかったのです。
この地はバレンランズと呼ばれる先カンブリア時代のカナダ楯状地(約45億年前 – 5.4億年前)に形成された非常に古い岩盤で。氷食を受けて平滑化され,草やコケでおおわれた樹木の乏しい平原で。地表面から 20~30cm以下は永久凍土となっています。パイプはこの岩盤を突き破り表面に達していました。柔らかいキンバーライトは簡単に侵食され湖として残っていたのです。湖全体がダイヤモンドパイプだったのです。1991年11月にフィプケ氏がパートナーの地質学者スチュワート・ブラッソン氏、そして経済地質学者ヒューゴ・ダメット氏とラックデグラス近くの北米で最初のダイヤモンドパイプを発見しました。フィプケ氏はダイヤモンドパイプをデビアスよりも早く発見することに成功したのです。

非デビアス・ダイヤモンドカルテルに大きな影響を与えた鉱山の出現

こうして発見された鉱山、それがエカティ・ダイヤモンド鉱山です。カナダ産ダイヤモンドは氷河の花崗岩に覆われた不毛な大地で、寒いときはマイナス30度にもなる極寒の鉱山です。現在エカティ鉱山からは”アイスカラー”と呼ばれる上位カラーグレードのダイヤモンドは多数産出しています。フィプケ氏らはこの鉱山の採掘を地下資源大手のBHPビリトンとリオティントに半譲渡して操業を開始します。かくして1991年に発見されたこの鉱山からはデビアスの支配の及ばないダイヤモンド原石が供給されダイヤモンドの市場をよりグローバルなモノへ進化させたのです。(※その後デビアスは)

操業への調査を終えエカティ鉱山が1998年にオープンされます。5年後にダイアヴィク鉱山が、さらにその5年後にはスナップレーク鉱山が開かれました。これら3つの鉱山は全て、半径約80キロ以内に位置しています。フィプケ氏は2014年まで、エカティ鉱山から産出するダイヤモンドの10%の権利を持って財を成します。フィプケ氏の成功は近年のダイヤモンド業界内でも指折りの大成功事例なのです。

フィプケ氏は現在、複数のグリーンフィールドプロジェクトに関与しています。メタレックスベンチャーズによるオンタリオでのダイヤモンドの検索を含む、金鉱山の開発、ネバダとイエメンでの濃縮ウラン鉱山開発なども手掛ける地層学者兼地下資源採掘企業の経営者なのです。

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