マクシミリアン大公(Maximilian I)
マクシミリアン(Maximilian I)はブルゴーニュ公国(Bourgogne)のマリー皇女の婚約者にしてオーストリアハプススブルグ家の王子。後の神聖ローマ帝国の皇帝。武勇に秀たマクシミリアンは”中世最後の騎士”と呼ばれベルギーではトランプのJackのモチーフにもなっています。マクシミリアンはマリーと結婚することによって大きな権力を得てその後のハプスブルグ家の隆盛を築いた人物です。
人類史上初めてのダイヤモンド付きエンゲージリングを送った人物。
マリー公女の父は時のブルゴーニュ公シャルル。シャルルはブルージュやアントワープ等の自由貿易港の経済力を背景に強大な力らを持っていました。ローマ皇帝に成る野望を持っていたシャルルは一人娘マリーとオーストリアのマクシミリアンの結婚は自信が王位や皇帝に成るために必要な結婚だったために進めた政略結婚だったと言われています。
婚姻だけが成立していた状態でマリーの父シャルルが戦死、ブルゴーニュ公国は隣国フランスの侵略になすすべなく崩壊の危機に瀕していました。マリー公女も幽閉の身となっているところへマクシミリアン率いるオーストリア軍が駆け付けフランス軍を撃退し見事マリーを救い出し二人は結ばれました。この時マクシミリアンがマリーに婚約の記念品としてダイヤモンドの指輪を贈っているのですが、これが人類史上初めての婚約指輪であると言われています。
マクシミリアンはダイヤモンドこそ権力の象徴であると信じていたマリーの父シャルルへのオマージュとしてダイヤモンドの婚約指輪を選んだと言われています。
政略結婚だったマリーとマクシミリアンですが、お互いに一目ぼれだったと言われています。絶世の美女として語られることの多い公女マリーと眉目秀麗な騎士として語られるマクシミリアンは当時誰もが羨む美男美女カップルだった事でしょう。
マリーと結婚したマクシミリアンはオーストリアの首都ウィーンと比較してブルゴーニュ公国の繁栄に驚かされます。フランドル地方の盛んな貿易を支えた港町ブルージュとアントワープの拡大をすすめ、産業育成と貿易振興にも積極的に取り組みました。シャルル亡き後のブルゴーニュの中央集権化を進め君主としても才覚を示し始めます。
二人は政略結婚ではあったものの1女2男の子供に恵まれます。マリーとマクシミリアンの仲は円満で幸福だったとする文献が数多く残されています。マリーはブルゴーニュでは絶世の美女として語られており、(実際にその美貌に多くの縁談を持ち込まれたが全てを断っています)国民からは「美しい姫君」と呼ばれています。同時に活動的で乗馬や狩猟、スポーツを楽しむ女性でした。
しかし第4子を懐妊中のマリーはマクシミリアンと出かけた狩の途中で落馬し重体となります。致命傷を負ったマリーは流産しそのまま亡くなってしまいます。ブルゴーニュ公国の相続人に子供二人を指名し、嫡男フィリップが15歳になるまではマクシミリアンを後見人とする遺言をのこし、家臣に夫マクシミリアンに仕えるよう直々に言い残して逝去します。マリーは25歳でした。
こうしてブルゴーニュ公国の後見人となったマクシミリアンでしたが、相次ぐ反乱で領地を失い長くフランスと対立することになります。ブルゴーニュ継承戦争と言われる戦いです。これによってブルゴーニュを手に入れると1486年には父から継承したオーストリア王の王位と同時に神聖ローマ帝国の後継者ローマ王にも選出されます。
この後フランスとの長い戦を経ながらハプスブルグ家をおおきく発展させていくのです。
マクシミリアンは死後遺言で自分の遺体は母と共に、心臓はブルージュの聖母教会に眠るマリーのもとへ葬る事していて現在もマクシミリアンの心はマリーと共にあるのです。