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ブルゴーニュ公国(Bourgogne)

ブルゴーニュ公国(Bourgogne)は現在のオランダ・ベルギーやフランスのブルゴーニュ地方を本拠とした公国領であったブルゴーニュ公国。一般的にはワインで有名なブルゴーニュ地方ですが。この地はかって中世のある時期、フランスの一諸侯でありながらベルギー・オランダにまたがる広大な領土をもち、あたかも独立国の体をなしていたブルゴーニュ公国の領土があったののです。
ブルゴーニュ公国の悲願はローマ皇帝となってヨーロッパを統一することだったそうです。そのため3代ジャン無怖公はフランドル伯領の相続人であったマルグリット・ド・マルと結婚。経済的に豊かだったフランドル伯の領地を手にいれ経済的にも強大な力をつけ、100年戦争の渦中にあったイギリス、フランスという大国の間で強い力を持って行ったのです。

ブルゴーニュ公国はやがて1384年にはフランドル、フランシユ・コンテ、アルトワ、ヌヴエール、ルテルを併せて大ブルゴーニュ公領を構成するようになります。このようなブルゴーニュ公国の領土拡張政策は、フィリップ豪勇公に続くジャン無怖公、フィリップ善良公、シャルル突進公の4代百年余りに渡って追求され続けました。

結果その最大版図は、南の本領地ブルゴーニュ、ヌヴエールから北の北海沿岸フリースランドに達し、アルザス、ピカルディなども併せています。これらは、ヨーロッパでも当時最も豊かな地方で、特に北部のブルージュやアントワープと言った港町の商人たちの経済的・文化的活力は目覚ましく、フランス・イギリスをも凌ぐ勢いだったとされています。

3代フィリップ善良公の時代には有名な「金羊毛騎士団」を結成しブルゴーニュ公国の勢力はピークを迎えます。

4代目シャルルの時代には南北の兵站が伸び飛び地になっていた領土を統一すべく戦いに明け暮れるのですが、フランスのルイ11世の謀略や暗躍、進行した地域の勢力が協力して対抗したことに徐々に苦戦し始めます。そして1477年ナンシーにおいて下流諸侯連合の雇ったスイス人傭兵隊に敗れ戦死してしまいます。

あとに残されたのは一人娘マリー公女のみ。ブルゴーニュ公国は崩壊しフランス国内のブルゴーニュ領はルイ11世に接収されました。公国領内にもフランス軍が侵攻してこれを制圧してしまいます。しかしブルゴーニュ公国はシャルル生前の約束で神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世とマリーが結婚することになっており、フランス軍に対してマクシミリアンが挙兵し無事マリーを救出します。

 マリーとマクシミリアンの間に生まれたフィリップ美公が1496年にカスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世の娘フアナと結婚したことにより、ネーデルラントは息子カール5世(スペイン王ではカルロス1世)に受け継がれ「日の沈まぬ大国」へと発展していくのです。

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