ダイヤモンド法令(アントワープ)
政治手腕も高く評価されているシャルル突進公
ダイヤモンド法令は1447年ブルゴーニュ公国のシャルル突進公(公女マリーの父)は自身の支配する公国領内の2大貿易都市”ブルージュ”と”アントワープ”において宝石類の取引条例【ダイヤモンド法令】を発出しました。法令は「アントワープ居住者並びにアントワープへの旅行者を含む何人も、
1、 模造品(偽物)のダイヤモンド、ルビー、エメラルド、サファイアの取引。
2、 模造宝石(ダイヤモンド、ルビー、サファイヤ、エメラルド)のセッティングされた金、銀、銅製品の売買と質入れ。
の2点を禁止した法令。ダイヤモンドもルビーであろうとも、サファイヤであろうとも、偽物の宝石を、購入したり売却したり、借金の抵当に入れたり、譲渡したりすることを禁ずる」と言うものでした。違反者には25ダカットの罰金(1ダカットはベニスで発行された純金の金貨です。重さ約3.5gですから25ダカットはざっと純金88gです。金1グラム2020年現在約6,000円とすると・・ざっと528,000!52万です。)その25ダカットの、3分の1はブルゴーニュ公国領主へ、3分の1はアントワープの商人ギルドへ、3分の1は情報提供者へ(告発者)に分配されたそうです。
ベルケムは宝石加工ギルドを率いていた
当時の宝石ギルドの長を務めてシャルルに使えていたルドヴィック・ヴァン・ベルケムはこの法令で更なる権力を持ったと推測されています。ダイヤモンド法令は当時世界で最初の自由貿易都市として多くの物資取引が行われていたアントワープやブルージュならではの法令だったのです。シャルル突進公の政治経済での手腕は多くの学者によって研究されており著作も多く出版されていますのでご興味のある方は是非