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ダイヤモンドカット歴史と技術

ダイヤモンドはカットにより多彩な表情を見せてくれます。

同じダイヤモンドの原石でも、カット次第で「輝き」や「価値」が大きく変わります。

ご覧のページでは、ダイヤモンドカット発展の歴史・技術をふまえ、当店BRIDGE銀座が指名する世界的ダイヤモンド研磨師「フィリッペンス・ベルト氏につきましてもすこし掲載いたしました。

より一層、ダイヤモンドに興味を持ってもらえれば幸いです。

ダイヤモンド加工の歴史は、超硬素材であり脆(もろ)い特異な性質のダイヤモンドの魅力を最大に引き出すため、ダイヤモンドカッターやポリシャー(研磨師)はじめ各作業分野で狭義の専門性を要求される技術を創意工夫の末に開発する中で問題に挑む歴史でもありました。


今、私たちが手にするダイヤモンドは、そのような長い歴史を経て少しずつ最高の輝きへと近づいてい行ったのです。

そしてダイヤモンドはいつの時代も最高の輝きで私たちを魅了してくれます。

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ダイヤモンドカットの予備知識

ダイヤモンドは地球上で実験で確かめられている中では天然で最も硬い物質です。

そんな硬いダイヤモンドでも、結合力の比較的弱い面があり、その性質を「劈開(へきかい)」と言います。

その「劈開(へきかい)」を使ったカット方法を「クリービング」と呼びます。

また、ダイヤモンドの切断や研磨において、結晶構造上無視する事が出来ない切断可能方向を「グレイン」と呼びます。

ダイヤモンドは原石の形に関わらず、石の内部で、最も柔らかい六面体面と、次に柔らかい十二体面とが有り、この面に沿ってダイヤモンドパウダーを使い切断する事ができ、これをソーイングと呼びます。

一般的にダイヤモンドの輝きはブリリアンスディスパージョンシンチレーションの3要素で構成されています。

簡単に言いますと、

  • ブリリアンス=全体の輝き
  • ディスパージョンは光の分散
  • シンチレーションは鏡面反射

この3要素のバランスがダイヤモンドの輝きを決めています。

この他にBRIDGE銀座では以上の3要素が揃ったダイヤモンドにみられる”ファイヤー”も特に注目しております。

ダイヤモンドはカット(Cut)して成形し、その後 研磨(Polish)して仕上げる 大きく分けて2工程で行われます。

現在はそれぞれの作業工程を別々の職人が担当しています。ダイヤモンドは原石の形を見極め最終仕上げのプランを立ててた後、おおざっぱにグリーピング技術を駆使してカットして形を整えます。よほど大粒のダイヤモンドを除けばCut(カット)工程は専用器械を使ってより正確に行われるようになってきました。

さらにブルーティングしてガードルを決め、仕上げ後のダイヤモンドの最大横幅をこの段階で決めます。そしてテーブルをソーイングして切り出すと、そこから個々の面を仕上げるファセッティングの作業に入っていきます。

粗くファセッティングした後は仕上げのポリッシュ研磨作業に入ります。

この段階で最後の角度調整や研磨面の調整などが細かにされてダイヤモンドは仕上がっていきます。

アントワープブリリアントの専属研磨師フィリッペンス・ベルト氏はこうしたカットの作業工程も経験していますが、ダイヤモンドの輝きを決める一番の要素はこのファセッティングからポリッシュ研磨の作業工程にこそある事からベルト氏はこの研磨作業を極める事に専念しているのです。

今でこそ宝石の王様なんて呼ばれるダイヤモンドですが、その昔はただの硬い石でした。そのため多くは宝石というよりも石板や石に文字を書く道具等に使われたりしており、宝石として魅力を発揮するのはルビーやサファイヤなどと比べるとずっと後の事となります。

それではダイヤモンドを仕上げる歴史がどのようにして紡がれてきたのか?時系列で紹介したいと思います。

ダイヤモンドは1867年頃アフリカで発見されるまでは主にインドと僅かにブラジルから産出する大変希少な鉱物であり宝石でした。しかも主要産地であるインドではカースト(身分)を現す物としてダイヤモンドが用いられており、元々美しい8面や6面、12面等の整った結晶系のダイヤモンドはインドから持ち出すことが大変困難でした。ヨーロッパに交易品として持ち込まれるダイヤモンドは結晶のゆがんだものや整わない成長線のダイヤモンド等、品質の低い物が大半だったと言われています。

インドでは超硬素材であるダイヤモンドの表面を磨いただけのムガール仕上を施すことが通常でした。整った結晶系のダイヤモンドはそれだけで美しかったのです。しかもその研磨方法は木の皮や動物の皮の表面に低品質のダイヤモンドを砕いた粉を敷き、そこにダイヤモンドを手で擦り付けて研磨するという原始的なものでした。

※19世紀、当時世界最大のダイヤモンドとして人々の注目の的だったダイヤモンド「コ・イ・ヌール」がインドから持ち出されパリ万博に出展された際、まばゆい輝きを想像して集まった多くの民衆はムガールカットの”コイヌール”があまり輝いていない事にガッカリしたという逸話は有名です。インドからダイヤモンドを持ち出し新たな所有者となっていたヴィクトリア女王は民衆の落胆を見てコイヌールを輝きを放つブリリアントカットへとグリーピングしてリカット、再研磨して186カラットから現在の105カラットと言うサイズとなった逸話は有名です。

その為、ここで紹介するダイヤモンドカット・研磨の歴史はおもにヨーロッパでのダイヤモンド加工の歴史です。

ダイヤモンドカットの種類と歴史

ダイヤモンドカットの歴史 ポイントカット グレイン

14世紀初めはダイヤモンドの特性がまだまだ謎に包まれていたので、「劈開(へきかい)」に対して、グリービングを使って原石をカットし形を整えた後に表面を仕上げたポイントカットが最新でした。

この時代まで地上で最も硬い鉱物であるダイヤモンドを磨く方法は長らく謎でした、そのためダイヤモンドは劈開を使って割ることはできても磨くことは出来ませんでした。これは結晶の整っていないダイヤモンドはダイヤモンドの粉を使っても磨くことが困難だったことが原因しています。

ダイヤモンドはその比類なき硬さから「征服されざる者」という意味を持つ「アダマス」を語源としています。使用用途としてはジュエリーではなく主に石板や硬い素材に文字を書く道具として利用されていたようです。

しかし遂にこの時代ダイヤモンドの結晶同士を擦り合わせると磨ける事が解明され、ダイヤモンドの表面を磨いて仕上げる事が出来る様になりました。

それは古代インドから伝来した古典的な方法で木の板や革を固定して、ダイヤモンドの粉末をオリーブ油に溶いてペースト状にして塗り込み、ダイヤモンドの方を手に持って擦っていくという原始的な研磨方法でした。

人力での研磨は途方もない作業時間を要したと推測されます。

しかし表面を仕上げる事が出来る様に成った事でダイヤモンドの高硬度から発揮される表面光沢や高い光の屈折から美しい輝きが生まれる事が判り、宝石としての魅力に注目が集まり貴族たちの間で話題となります。そもそもの所有者であったインドの王族たちは8面体のピラミッド型の原石の形に魔よけとしての強い力があると信じていたことから、より美しい結晶系のダイヤモンド派珍重されていたという事もポイントカットの流行に原因していると言われています。

ダイヤモンドは当時もとても希少だったために手にできるものは王侯貴族の中でも一握りで、その存在はたちまち珍重されます。

 

ダイヤモンド テーブルカット

15世紀中期になると、ポイントカットの上下を切断した形のテーブルカットが登場します。テーブルカットを初めて施した職人はテーブルからダイヤモンド内部を覗き込んだ際に内部で反射して跳ね返ってくる今まで見たことも無いような虹の輝きに魅了されたと思います。現在もダイヤモンドの形のほどんどがテーブルカットを施している事は驚きです。

ソーイングの技術を使って最もカット・研磨しやすい八面体面とその次にカット・研磨しやすい六面体面十二体面を見極めてカット・研磨していきます。

ダイヤモンドの粉末をオリーブ油に溶いてペースト状にした研磨剤をソーイング・マシーン(切断機)を使って切断していました。動力源は人力ペダルや水車や風車、牛などの家畜を使った物など様々でした。

円盤状のソーイング・ブレードに、ペースト状の研磨剤を塗布し固定したダイヤモンドを押し当てると少しずつ研磨できます。

この際、研磨する石自体から出る削り取られたダイヤモンドの粉末がソーイング・マシーン(切断機)のブレードに絶えず再装着されて研磨剤が切れる事のない画期的な仕組み。
※1990年に1ctのダイヤモンド原石(直径約7㎜)を50:50のセンターソーイングで切断する依頼をした際、その切断に約1週間の時間かかりました。電動の高馬力でもそれだけ時間がかかりますので動力が手動だった15世紀にダイヤモンドをソーイングするのは恐らく1年がかりの大仕事だったと想像できます。

ソーイング・ブレード(上写真)やスカイフ(下写真)等、現在もダイヤモンド研磨の現場で使われる専用の研磨機や、ダイヤモンド研磨専用の器具が開発されたのもこの頃です。

開発したのは当時のベルギーを統治していたブルーゴーニュ公「シャルル突進公」に仕えるこの地に拠点を構えていたダイヤモンド研磨工達でした。

ダイヤモンドこそ権力の象徴であると信じていたブルゴーニュ公国のシャルル突進公。彼に仕えたダイヤモンド研磨師、ルドウィック・ヴァン・ベルケム(Lodewyk van Berken)らの活躍によりダイヤモンドの研磨技術は飛躍的に進化していきます。

ダイヤモンドのソーイング・ブレード
ダイヤモンド研磨専用の器具

15世紀中ごろはソーイング・ブレードの動力源は主に人力のアナログで非常に非力でしたが、新たな技術の導入によりダイヤモンド研磨業界は活況となっていきます。更にはスカイフの登場でこの時初めてダイヤモンドに直線的で平らな面を研磨出来る様に成ります。ベルギー・アントワープ、オランダア・ムステルダム、等に多くのカットハウスが出来たのもこのころです。

ダイヤモンドの所有者はダイヤモンドのファセットを研磨して表面光沢を楽しむようになったり、正面(フェイスアップ)から見て左右対称な面(ファセット)を持つように研磨したり、新しいダイヤモンドが数多く登場しました。

ダイヤモンドの研磨1
交換用の鋼鉄製のスカイフ フィリッペンス・ベルト
ダイヤモンドに直線的で平らな面を研磨

交換用の鋼鉄製のスカイフを持つのは現代の巨匠フィリッペンス・ベルト氏(写真中)。

ダイヤモンドに面を付けたローズカット

16世紀になると、インドからもたらされるマクルと呼ばれる平べったいダイヤモンド原石に面を付けたローズカット(薔薇のつぼみに似ているドーム型のダイヤモンドをローズカットと呼びます。)などのより複雑なカットが登場します。ソーイング技術も有りましたが大きなダイヤモンドを真っ二つにしてしまう事はこの時代の人たちも避けたようです。

ダイヤモンドのシンチレーション(鏡面反射)を楽しむこのカットはこの後、ダイヤモンドのグレインや石の内部で最も柔らかい六面体面と次に柔らかい十二体面とがある事などが、一部の腕利きの職人の間で研究され明らかになり、12面、16面、24面、32面とより複雑なカットが登場します。

当時は、ロウソクの明かりの元で幻想的に輝くことが求められたため、最先端技術を駆使して作られたローズカットなどの曲線面にモザイク模様のような、「面」をつけたカットが注目の的となり、社交界や貴族の間で大人気となります。

この技術を駆使したベルケムたちブルゴーニュ公国ブルージュの研磨職人達には多くの研磨の仕事がヨーロッパ中の貴族から舞い込みローズカットから生み出されるダイヤモンドの輝きは多くの貴族たちを魅了しました。

ダイヤモンド・オールドシングルカット

その後17世紀まで、ダイヤモンドの研磨やカットは器具の進化と共に複雑さを増し、次第に中心から放射線状に多数の研磨面が対称的に刻めるようになってきて、いよいよ現在のダイヤモンドの形に近づいてゆきます。

しかしこの時代は最初にグリーピングして原石を割り、その割れた破片を磨くのと言うものでした。左右対称に割れてくれることは稀だった為、対象に研磨された品物はもともとの原石が良かったことも有り特別に珍重されました。

テーブルカットの稜線を研磨して、クラウン部分にテーブルとベゼル・ファセットを8面、パビリオンにキューレットとパビリオン・ファセットを8面つけたオールドシングルカットが登場しました。

ダイヤモンド・マザラン・カット

17世紀後半には、マザラン・カットが登場しました。

枢機卿ジュール・マザランは、17世紀フランス王国の政治家でした。イタリア人でしたがフランスで活躍した彼はパリに時代に先駆けてダイヤモンドの研磨工場を作ろうと働きかけた人物だと言います。

マザランは当時イタリアのヴェネチアで活躍していたダイヤモンド研磨工達の存在に目をつけ、彼らにこのダイヤモンドの研磨を依頼します。中でも腕利きの研磨工だったVincent Peruzzi(ヴィンセント・ペルッチ)等の活躍でマザランカット(ダブルカット)が誕生します。

マザランもまたダイヤモンドの輝きに魅了された一人だったのでしょう。


ほどなくダイヤモンド内部に入射した光が、パビリオン部分で反射してクラウンから出る事になるダイヤモンドのブリリアンス(全体の輝き)に注目が集まり、どの様にしてブリリアンスを引き出すかがカットのテーマに成って行きます。

また、変五角形のプリズムが発見されたのもこの頃で、同時にディスパージョンの研究も進みます。

このマザラン・カットは、オールドシングルカットからのステップアップカットでダブルカットブリリアントと呼ばれたりします。

ブリリアントの名前が最初に付いた事から最初のブリリアントカットと呼ばれ、ダイヤモンドの持つ高い光の屈折率によって生み出される虹色の輝きや、物質上最高硬度であることから生まれる平滑度の高い研磨面から、跳ね返る強い光に注目が集まり研究が進みました。

こうしたダイヤモンド研磨の飛躍的な技術革新をもたらした ヴェネチア(ベネチア)の研磨職人 Vincent Peruzzi(ヴィンセント・ペルッチ)たちはダイヤモンド結晶の方向を見定めると同時に、研磨技術を更に進化させそれまで謎だった研磨可能な方向をどんどん解明していきます。

結果的にペルッチはこの後マザランカットのクラウン部分のファセットを17から33まで研磨することに成功して研磨済みダイヤモンドの輝きを大きく飛躍させる事になります。

ダイヤモンド・オールドマインカット

17世紀末登場したオールドマインカット(トリプルカットとも呼ばれる)はマザランカット(ダブルカットブリリアント)の進化系としてベネチアの研磨職人Vincent Peruzzi(ヴィンセント・ペルッチ)によって編み出されました。

17だったクラウンファセットを33まで増やしたことも画期的でしたが、オールドマインカットにはそれまでにはない新しい技術が導入されました。

それはブルーティングという新しい技術で、これを駆使して正面から見たダイヤモンドの輪郭を丸く仕上げる事でした、この発見は現在のブリリアントカットの原型になっていると言われています。

この時初めてダイヤモンドカット・デザインに曲面・曲線が加わります。

最初は、原石を旋盤状のダイヤモンドを固定する器具(ドープ)にセットし、もう一つの研磨用ダイヤモンドを、セットした工具に押し当てて高速で回転させ、テーブルを正面に見たダイヤモンドの外周を丸く曲線状に仕上げていました。

ダイヤモンドのガードル部分を仕上げると言う意味で、ガードリングとも言われます。

当時は、人力ペダルが動力源でしたのでペルッチ達研磨職人のガードリング作業は気の遠くなるような途方もないモノだったと思われます。

現在のブルーティングマシーン
ブルーティング

現在のブルーティングマシーン、最新のダイヤモンドの研磨ではガードルを決めることでベースサイズを決めて、ベースサイズを元にテーブル径を決めてソーイングしていく流れなので、このブルーティングはダイヤモンドカットにおいて最初に施される加工なのです。

ダイヤモンドに新しい輝きを与えるのはいつもその時代で最高の技術を持ったダイヤモンド研磨師なのです。

ダイヤモンド・オールドヨーロピアンカット

18世紀初めには、オールドマインカットを進化させたオールドヨーロピアンカットが登場します。

ブルーティング技術が向上し、テーブルを正面に丸い形状に仕上げる事が出来る様になります。58面体に研磨されたこのカットは現在のラウンドブリリアントカットのルーツと呼ばれています。※当時左右対称に仕上げる事が出来たダイヤモンド原石は非常に希少で限られていました。

オールドヨーロピアンカットはテーブルが狭くデプスが深いのでカラットサイズに対してフェイスアップではやや小さく見えるのですがディスパージョンはそれまでのカットに比べて強く出るのが特徴です。

ダイヤモンドの発揮する虹色の分散光は他の宝石には無い特別な輝きで人々を魅了しました。

しかしこの時代はそれまでダイヤモンドの供給国であったインドやブラジルの鉱脈枯渇という決定的な問題に直面します。アントワープやアムステルダムで台頭したダイヤモンドカッティングハウス(ダイヤモンド切断業)は供給不足(停止)によって未来の見通せない状況に成っていきます。

“beauty verses weight”美しさの追求

1860年代にアメリカ・ボストンのダイヤモンドカッティングハウスでマスターカッターを務めるヘンリーDモースは、それまでに市場に出回った古いカットのダイヤモンドを”リカットして仕上る”という新しい業態をスタートさせます。これは鉱山の枯渇で供給停止に陥っていたダイヤモンド業界にとって画期的な事でした。モースはビジネスパートナーのチャールズ・M・フィールドと共に蒸気機関動力のブルーティングマシーンを開発して左右対称のダイヤモンドの仕上げ技術を飛躍的に向上させます。

モースは「美しさ 対 重さ」という新しい概念をダイヤモンドカット業界に導入したのです。1860年代はダイヤモンドが輝きを重視して加工された最初の時代なのです。現在の考えでは当たり前のダイヤモンドの形を決定するときに原石の目減りを抑えつつも光の屈折値を考えたカットを施すという考え方は当時浸透していませんでした。ダイヤモンドは原石の重さをなるべく失わないように研磨するのがセオリーだったのです。モース達はそれまでに販売された多くのダイヤモンドを”リカット(再研磨)”して元々よりもカラットを失っても元々よりも輝くダイヤモンドを数多く市場に出していきます。

美しさを手に入れたダイヤモンドは1870年代にアフリカでの大規模な鉱脈発見で供給停止から回復します。この時アフリカからもたらされたダイヤモンドは最初の1年で それまでに採掘されたダイヤモンドの全量を上回る規模でした。ここから本格的にダイヤモンドカット研磨の歴史が動き出します。

※1850年までに世界で発見されたダイヤモンドの総量は約10万カラットだったのに対して南アフリカのプレミア鉱山稼働初年度には300万カラットのダイヤモンドが供給されました。

ダイヤモンド・ラウンドブリリアントカット

正面から見た際のダイヤモンドの輪郭に曲線を付ける事が比較的容易に出来るようになるとダイヤモンドはマーキースカット、オーバルカット、ラウンドカットと研磨面を広げるように改良されていきます。ヘンリーDモースによってデザインされたラウンドブリリアントカットのダイヤモンドはそれまでに発表されたダイヤモンドと比べて明らかに低いクラウン部分をしており、歩留まりよりも美しさを優先する形でした。

19世紀はダイヤモンドが宝石として美しい輝きを引き出すために加工され始めた時代なのです。

驚くべき事にヘンリーDモースのカッティングハウスで加工された当時のラウンドブリリアントカットダイヤモンドを20世紀以降にマルセル・トルコフスキーの提唱した最新型のアイディアルブリリアントカットと比較した際に技術的なファセットラインの良し悪しを除いてほとんど改善の余地がなかったと言います。

そして20世紀(1919年)に入り、光学理論と数学によってダイヤモンドの理想的な形がマルセル・トルコフスキー(Marcel Tolkowsky)の著書「ダイヤモンドデザイン」の中で発表されます。

マルセル・トルコフスキーの考案したダイヤモンド設計図は、

1.カットされたダイヤモンドのクラウン部分から石内部に入射した光をパビリオン面で2度にわたり全反射させ、ほぼ100%クラウン部分に戻すためのパビリオンメインファセットガードル平面の作る角度

2.クラウン・ファセットから分散によってできるだけ多くの虹色が現れるようなベゼル・ファセットとガードル平面の作る角度

3.主にテーブルから出射するブリリアンスと呼ばれる白色光の輝きと、ディスパージョン(光の分散)。またはファイアと呼ばれるスペクトル・カラーのバランス

以上の三点を総合的に考えて、ガードル直径の53%をテーブルパーセントとするデザイン案が、ダイヤモンドから最高の美しさを引き出すカットであるとし、これ以降さまざまなダイヤモンド研磨師たちが試行錯誤を繰り返し最高の輝きを追い求めるようになりました。

しかし当時、このカットはそれ以前のダイヤモンドに比べて大幅な歩留まり低下を伴う形だった事と、結晶学的に無視できないグレインを持っていたため、実現が難しくスタンダード化には少し時間を要しました。

実際にはダイヤモンドを2次元で考えていたトルコフスキーの理論はダイヤモンド内部で3次元に動く光の挙動を完全にコントロールすることはできませんでした。

またダイヤモンド内部で2回以上反射する光については理論でも触れられて無かったことで、この後このカットに挑戦した多くの研磨者や研究者によって、理論としては不完全で有る事が解明されています。

さらに一方向だけでなく光は様々な方向・角度からダイヤモンドに入射する事も考えられていなかったために、この後にもダイヤモンドのプロポーションについては様々な提案が様々な研磨者や科学者からなされてます。

そのどれをもって最高とは誰にも公平な判断が出来なかったことと、実際に最高の輝きを導き出してはいなかった事などからラウンドブリリアントカットは半世紀以上の時間をかけて技術の向上と理論の醸成を待つこととなります。

※現在のラウンドブリリアントカットも八面体の原石から50%以上が失われてしまいます。

同時に、世界では「産業革命」と呼ばれる資本主義確立期の大変革が起こり、それまで手動や水車や牛などの動力源が、蒸気機関や電気等が使われるようになり、ダイヤモンドの世界にもそれぞれの工程を分業や協業をおこない、多くの人員を集めてより効率的に生産を行うマニュファクチャと呼ばれる研磨工場が多数出現しました。

マニュファクチャーでは一人のマスターカッターを中心に、多くの工夫が各作業工程を担当する現在の形の基礎となりました。サイトホルダーの誕生もこの頃です。

ダイヤモンド・ブランドと呼ばれる企業が登場するのも産業革命期のこの時代です。それまでは分業していなかったダイヤモンド研磨を流れ作業に変えて分業化しダイヤモンドジュエリーの普及に尽力した偉人たちです。

しかしこの後、第一次世界大戦が勃発するとダイヤモンド研磨の中心地だったベルギーはドイツに完全に占領されてしまい、第二次大戦が終戦するまでベルギー・アントワープのダイヤモンド産業はその機能を失ってしまいます。その結果ベルギーで発祥したほとんどのダイヤモンドマニュファクチャーがオランダやアメリカ・イスラエルを拠点に活躍することになります。

またこの頃から、ダイヤモンドはロウソクやガス灯ではなくシャンデリアや電球などの明かりの元でより輝くことが求められて行きます。

そして鉱山の安定操業も手伝ってダイヤモンド原石の供給が安定すると共に少しづつですがダイヤモンドは一部の王侯貴族だけの持ち物ではなく、経済的な成功を収めた一般の人たちの手にも渡るようになります。

ダイヤモンド・エクセレントカット

1990年にエクセレントカット、1993年にハートアンドキューピッドが登場します。

マルセル・トルコフスキー(Marcel Tolkowsky)の「ダイヤモンドデザイン」で発表されたデザイン案から実に69年後の1988年、ダイヤモンドのグレードなどの基準を決める教育機関G.I.A.(Gemological Institute of America)により、ついにダイヤモンドのカットグレードエクセレントの基準案が発表されます。

ヘンリーDモースによって始まりトルコフスキー案で論じられたダイヤモンドの輝きを追い求めるカットと研磨は、この頃になると理論上かなり煮詰った状態でした。トルコフスキー案で問題だった二次元と三次元の問題や光の入射角等の問題をクリアした”アイディアルカット”ダイヤモンドが設計・研磨できるようになってきたからです。

当時日本では、AGL(一般社団法人 宝石鑑別団体協議会)により先行してダイヤモンドのカットグレードが施行されていましたが、世界的なダイヤモンドのグレードを定めていたG.I.A.基準ではカットグレード自体の採用が無く、AGL基準の国内鑑定は4C、G.I.A.国際鑑定は3Cというダブルスタンダードの状態になっていました。

それは、マルセル・トルコフスキーの「ダイヤモンドデザイン」で発表されたデザイン案を含め、それまで発表された最も美しいと評された数々のダイヤモンドは理論上の最高では無かった事や、その中で美しさの優劣を決める事が出来なかったという理由からでした。

そのため、市場には自称最高の輝きのダイヤモンドが多く出回り、小売業者や卸売業者はもちろん、消費者にとっても判断の難しい状況が続いていました。

そこでG.I.A.では、1988年カットグレード・エクセレントを、ダイヤモンドの光学的な美しさのバランスにおいての最高品位としてランク付けし、カットグレードを決定、制定していきました。G.I.A.のカットグレードはエクセレント、ベリーグット、グット、フェア、プアの5段階で評価される仕組みです。

これにより、先行していた日本国内のダイヤモンド・カットグレードもそれに倣(なら)う形となり、現在はG.I.A.基準で国内も統一されAGL基準は廃止されてしまいました。ラウンドブリリアントカット ファセット名 ダイヤモンドは由緒正しきボツワナ産IIDGRデビアスグループBRIDGE銀座

G.I.A.のエクセレントカット発表により、最高グレードの定義が決定されダイヤモンドのカットと研磨の歴史と変遷は一応の終着となったのです。

現在、ダイヤモンドを価格決定する際に基準として用いられることの多いラパポートレポート上では、同グレードの3EX(トリプルエクセレント)とEX(エクセレント)では5%取引価格に差異が有ります。

これは実際にトリプルエクセレントのダイヤモンドの価値がそれ以外よりも高いことを意味します。

フィリッペンス・ベルト
フィリッペンス・ベルト

1988年以降、前述しているダイヤモンドのカットと研磨に携わるすべての事業者、もちろんサイトホルダーやダイヤモンドのマニュファクチャ研磨工場・カッターズブランド等は、競ってG.I.A.の発表したエクセレントグレードの開発競争に突入します。

非常に高い技術を要求したG.I.A.のエクセレントカットのガイドラインは当時の最先端技術を駆使して名売手のカッターや研磨師達全てが挑戦したと言っても過言ではなかったそうです。しかしその狭き門を開けて頂のカットグレードを達成する者はなかなか現れませんでした。

そして1990年!
ベルギー・アントワープのダイヤモンド研磨師フィリッペンス・ベルト(philippens herbert)率いるダイヤモンド研磨のTOPチームの手によって初めて達成されます。

当時、レーザー光線の研究上重要な発見があり、高強度レーザーの発振が可能になります。

それまでは研磨不能だった結晶学上無視できなかったグレインを無視して、ダイヤモンドを思う方向に焼き切る事が出来る「レーザーソーイング」という新しい技術が導入されたことも、エクセレントカット達成の大きなきっかけとなりました。

レーザーソーイングBRIDGE

レーザーソーイングの導入は、それ迄グリーピングして割るしかなかったダイヤモンドを自在に切断できるようする技術でした。グレインを見定めてダイヤモンドをカットする従来のグリーピング技術はレーザーソーイングに比べて成功率が著しく低く貴重な原石を砕いてしまう事もしばしばでした。カッターズブランドを起こした偉人たちは殆どがグリーピング職人でした。彼らの様な高い経験と技術をもってしても失敗の確率は払しょくできませんでしたが、レーザーの導入で安全にダイヤモンドを切断できるようになったのです。

しかし依然ダイヤモンドの研磨は最先端技術と他に独自のノウハウと職人の熟練と技術を必要とするために エクセレントカットの研磨をコンスタントに達成できる職人はなかなか現れませんでした。

そんな中次々とエクセレントカット研磨に成功したフィリッペンス・ベルト氏は、その後世界各国で技術指導をし研磨の技術を広め、エクセレントカットのスタンダード化に貢献していきます。

また、エクセレントカットのダイヤモンドを多く仕上げる中で、不思議な模様ハートアンドキューピッドが浮かび上がることが分かってきました。

当初、別の名前でプロモーションされていましたが、商標の問題で現在はハートアンドキューピッドと呼ばれとても高い人気を誇ります。
フィリッペンス・ベルト氏は、その発見から開発にも携わります。

銀座のダイヤモンド

そしてフィリッペンス・ベルト氏はエクセレントカット達成の3年後、1993年にはハートアンドキューピッドパターンを完成させました。

  • ラウンド、円には終わりがない、それと同様に愛にも終わりがない
  • 実はハートマークが秘められたダイヤモンドである
  • 永遠の輝きを放つ愛を内蔵している
  • 愛の使者キューピッドによってハートは射止られている

など、愛の逸話をいくつも持つハートアンドキューピッドパターンですが、ダイヤモンドのカットグレードの内シンメトリー(対称性)が特に優れていれば、G.I.A.カットグレードがエクセレント以下のベリーグットでも、クラウンとパビリオンのファセットの先端が一致している事や、複数存在する同種のファセットの形が合同一致している状況であれば実はハートアンドキューピッドパターンは出現することが分かっています。

ハートアンドキューピッドはダイヤモンドのクラウン部分とパビリオン部分のガードルを挟んだファセット稜線の一致や連続性など特に仕上げの問題でその良し悪しが決まるのです。

研磨職人の腕前という意味では研磨の各ファセットの角度調整や先端の一致など細部の細かな調整が重要な要素であるハート&キューピッドパターンを狙って出す事こそ高い研磨技術が要求さる職人の世界と言えるのかもしれません。

これはダイヤモンドのポリッシュが分業制だった事も大きく影響しています。ダイヤモンドの58ファセットすべてを研磨できる職人を”マスターカッター”と呼びます。現在でもマスターカッターは世界にそう多くは居ません。

ある日フィリッペンス・ベルト氏は自信の仕上げるダイヤモンドのファセットラインの一致を試みます。するとガードルを挟んだファセットの稜線を整えたダイヤモンドと整えないダイヤモンドでは明確に見え方に違いがある事を発見します。それがハート&キューピッドの発見につながるヒントとなったのです。

ハートアンドキューピッドパターン1
ハートアンドキューピッドパターン2

2006年、G.I.A.によるカットグレードがついに導入され、それまで国内4C、世界3Cというダブルスタンダードは解消されました。

さらにカットグレードエクセレントの決定基準項目も細かく決定され、それによりラウンドブリリアントカットのダイヤモンドにおいて最高位のカットはトリプルエクセレントとなりました。

トリプルとは、カットの総合評価ポリッシュ(表面の研磨状態)研磨済みダイヤモンドの対称性の3項目の評価が全て最高のエクセレントの場合、そのダイヤモンドをトリプルエクセレントカットと呼びます。

冒頭にも述べましたが、ダイヤモンドの輝きは、ブリリアンス、ディスパージョン、シンチレーションの3要素で構成されています。簡単に言うとブリリアンスは全体の輝き、ディスパージョンは光の分散、シンチレーションは鏡面反射、この3要素のバランスがダイヤモンドの輝きを決めていて、そのうちどのバランスをもって最高品位とするかをG.I.A.が定めたことでダイヤモンドのカット歴史との変遷はここに一応の結末を見る事となりました。

2006年当時フィリッペンス・ベルト氏は大手サイトホルダーの専属研磨師としてエクセレントカット普及のために技術指導し世界中を回ります。そして2010年自身の研磨工場に戻りダイヤモンド研磨の活動を続けています。BRIDGEでは2013年からフィリッペンス・ベルト氏を専属研磨師に迎えたダイヤモンドブランド「アントワープブリリアント」を展開しています。

アントワープブリリアントではブリリアンス、ディスパージョン、シンチレーションのバランスが最高に整ったダイヤモンドにみられるファイヤーも重要視してダイヤモンドを厳選しカット研磨しています。

エクセレントカット、ハート&キューピッドをその手で生み出した巨匠フィリッペンス・ベルト氏は2018年大手サイトホルダーの要請でプリンセスカットのカットグレード”トリプルエクセレント”の開発にも参加して達成させています。ダイヤモンドは設計図は書けても誰がそれを実現できるのか?がとても難しい素材なのです。フィリッペンス・ベルト氏によって仕上げられた究極的な美しさのダイヤモンドをぜひ店頭で確かめてください。

⇒フィリッペンス・ベルト氏についてもっと詳しく

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