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タヴェルニエ(ジャン・バプティスト・タヴェルニエJean Baptiste Tavernier)

ジャン・バプティスト・タヴェルニエ(1605-1689)

ヨーロッパの冒険家で、グレートムガル、バーブル、コイヌール、ブルーホープなど世界的に超有名なダイヤモンドの数々をインドからヨーロッパへ持ち込んだ冒険家。彼の持ちこんだダイヤモンドの多くは現在ヨーロッパ中の王宮やスミソニアンルーブルなど世界的な博物館の金庫に保管されています。

インドのダイヤモンドを広く世界に広めた冒険家

タヴェルニエの父親は地理学者であり、兄弟は地図製作者でした。一家は世界を冒険する素質を兼ね備えていたのです。ダヴェルニエは16歳で旅を始めます。かれは手始めにヨーロッパの多くの国を訪れました。
旅行中に多くの言語を学び22歳のとき既にドイツ語、ハンガリー語、オランダ語を含む8つの言語を流暢に喋る事が出来たそうです。

1638年に初めてのインド旅行を敢行、以降タヴェルニエは1641年から1667年の間にインドを含む東南アジアを7回旅します。途中フランスに戻る度に、彼はシルク・コットン、インディゴ、スパイス、薬、タバコ、コーヒー、金、ダイヤモンド、そしてお金を持ち帰ります。彼はまた、中でも需要な任務として実行していたのがフランス王ルイ14世の依頼でインドの王族からダイヤモンドと宝石も購入すると言うものでした。当時インドは世界で唯一のダイヤモンドの産地だったのです。

タヴェルニエの見識によって地上で最も貴重な宝石ダイヤモンドは歴史の表舞台に出ることになるのです。鉱山での採掘方法から研磨の方法までダヴェルニエの著書によってもたらされた情報は余りにも大きなものでした。

因みにダヴェヌリエが持ち帰ったダイヤモンドの中でも有名なブルーホープは呪いの宝石と言われています。ホープダイヤモンドの「呪いの伝説」ではヒンドゥー教寺院に置かれた女神シータの彫像の目に嵌められていた2つのうちの1つをダヴェヌリエが盗みとり、それに気づいた僧侶があらゆる持ち主に呪いをかけたとされるのが始まりです。それによってタヴェルニエは「直後に熱病で死んだ」とか「狼(野犬)に噛み殺されたて死んだ」等の逸話がありますが、実際はそのような事はなくホープダイヤモンドは当時外国人向けに開放されたインドのダイヤモンド鉱山でダヴェヌリエが買い付けたものであるとされています。また84歳までの天寿を全うしたのでした。

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