フィリッペンス・ベルトの紹介
フィリッペンス・ベルト(Phillippens Herbert)
BRIDGE銀座AntwerpBrilliantGALLERYで取扱うセンターダイヤモンドは全て『フィリッペンス・ベルト氏』の手で最終研磨を施したダイヤモンドです。
1990年ダイヤモンド研磨技術の新たなスタンダードを確立させ、93年にはハート&キューピッド。そして2018年にはプリンセスカットのエクセレントを世界で初めて達成させた研磨の鬼才「フィリッペンス・ベルト氏」その輝かしい経歴はこれまで彼が培ってきたダイヤモンド研磨にかける尽きない情熱と、あくなき探求心、そして仕上がりに対して妥協を許さない徹底的なこだわり、それを支える確かな技術力、天から与えられた特別な才能、すべてが揃って初めて成し得るものなのです。
ベルト氏の紹介をする前に彼の生まれたアントワープがなぜダイヤモンドにとって重要な場所なのか?を少し紹介します。
時は1447年、ブルゴーニュ公国(現在のベルギー・アントワープ)では、それまでとは明らかに違うレベルで「ダイヤモンドをダイヤモンドで磨く」革新的な研磨法が一人の研磨工「ルドウィック・ヴァン・ベルケム(Lodewyk van Berken)」の手で発見され話題となります。
ソーイングブレードやスカイフと呼ばれる鋼鉄の研磨盤を使用した新しい研磨法は当時最先端のダイヤモンド研磨法としてアントワープで発明されたました。
そのため14世紀アントワープはダイヤモンド研磨で世界的な名声を得ていました。
ルドウィック・ヴァン・ベルケムも時のブルゴーニュ公に仕える利き腕のダイヤモンド研磨師でした。ベルケムは2代フィリップ公と3代シャルル公と2代にわたって長く活躍します。
当時のダイヤモンドはベルケム達の活躍により【割る・切る・磨く】が可能になり希少な宝石素材として注目を集めていました。それまで人類の歴史上もダイヤモンドは「どんなに権力の強い王様」にも、自在に加工することは出来ませんでした。無理に衝撃を加えれば思わぬ方向に砕けてしまうダイヤモンド、どうにも加工できない出来ない事から”征服されざる者”という言葉「アダマス」を語源に持つのです。
そんな超絶素材だったダイヤモンドを自在に磨く。世界で唯一の技術を確立し注目を集めたベルケムの下には様々な王族がダイヤモンド研磨のオファーを持ちかけました。
ベルケムの活躍から550余年・・・そんなベルギー・アントワープのダイヤモンド研磨スピリッツを受け継ぐ数少ないダイヤモンドカッターの一人がフィリッペンス・ベルト氏なのです。
14世紀から受け継がれる伝統
そして現代。1960年8月29日フィリッペンス・ベルト氏はベルギーのアントワープに生まれます。
当時のアントワープは世界大戦の復興に沸いており、中立国として欧州連合や国際連合に参加、経済的にも劇的な復興を遂げていました。ブルージュやアントワープもダイヤモンド研磨という地場産業で世界からも注目を集め、ベルケムから続くスピリッツを守り世界的なダイヤモンド研磨の基地として栄えており、研磨の聖地と呼ばれていました。
ベルト氏が生まれたカンピーヌ(ケンペン)にも多くのダイヤモンド研磨工場が有るだけでなくダイヤモンド研磨の専門学校まであったそうです。
カンピーヌ(ケンペン)には大小多くの研磨工場が軒を連ねていたことからこの地の主要産業として研磨に携わる人は尊敬されており、多くの子供が将来は立派な研磨工になることを普通に夢見て研鑽を重ねた時代だそうです。
ダイヤモンド研磨の分野で天才と称される事になる彼は、10代の時に兄弟の誘いもありダイヤモンド研磨工への道を志します。
そうしてすぐに頭角を現すと、地元カンピーヌ(ケンペン)では知らない者のいない天才研磨工への道を歩み始めるのです。
常人には複数年かかっても習得困難なダイヤモンド研磨における様々な分野を、人並み外れた速度で取得しわずか数年でダイヤモンド研磨技術の全てを習得してしまいます。
GIAによるエクセレント、そしてハート&キューピッドの誕生
そしてマスターカッターとなったベルト氏はより高い表面研磨、対称性、ファセットの一致を求めるようになり、当時誰にも成し得なかった至高の輝きを求めて80年代はダイヤモンド研磨の作業クオリティーの向上に没頭していくようになります。
1988年GIAによってそれまでのトルコフスキー理論の不完全部分を改善した最高グレードエクセレントの設計図が発表されました。これは未だに誰も達成していなかったラウンドブリリアントカットにおける最高グレードだったのです。
※1919年にトルコフスキーが発表したアイディアルカットは1980年までGIAもダイヤモンドの教科書に採用していましたが、実際にトルコフスキー理論の通りにダイヤモンドを仕上げても最高の美しさを得ることは出来なかったのです。その不完全性が完全に指摘された1970年代に多くのカット・研磨職人が取り組んで達成できなかったダイヤモンドの最高グレード、エクセレントカットの概要が88年に発表されます。
ダイヤモンドの加工分野においてイギリス、アメリカ、ベルギー、オランダはその時拮抗した技術を競い合うライバルでした。ベルギーのダイヤモンド業界は研磨の聖地としての威信をかけてなんとしてもエクセレントカットを誰よりも早く実現させる必要に迫られていました。そしてその類稀な才能で既に”アントワープにその人在り”と言われていたベルト氏の活躍が当時の工場長の目に留まります。
そしてベルト氏はおよそ2000名の上位技術を持つ研磨工の中からエクセレントカットの開発チームでリーダーとして選出されると1990年に研磨のTOPちぃーむを率いてダイヤモンド業界の念願だったエクセレントカットを達成します。
1990年代はダイヤモンドのカットグレードにおいて「Very Good以上」が極端に難しいとされた時代、ベルト氏は90年代に次々とエクセレントカットを成功させ、現在のスタンダード化への大きな足掛かりとします。
その働きはベルギーのダイヤモンド研磨技術と品質の高さを世界に印象付け、1993年には、エクセレントカットの人気を不動のものにした「ハート&キューピッド」の研磨も成功させます。
この発見はそれまでは誰も気に留めていなかったクラウン部分とパビリオン部分のガードルを挟んだファセットの接合がポイントでした。
今では当たり前の事ですが、当時のダイヤモンド研磨理論ではダイヤモンドを横から見ての光の屈折を計算するものでしたのでパビリオンとクラウンの連続性を重視したハートアンドキューピッドではダイヤモンドをフェイスアップすなわち正面からの展開図で研磨するなど手法に対する考え方そのものも新しく、しかも専用のスコープで誰にでも簡単にダイヤモンド研磨の対称性の優劣が目視で判断できるという画期的なものでした。
この発見は瞬く間に人気を博し世界に広がり、ダイヤモンド研磨業界の新しい常識となり、現在もカットグレードの最高品位とされています。
このほかにも、フィリッペンス・ベルト氏は大手サイトホルダーからの依頼でこれまでに10種もの特殊カットを専属で研磨しており、現在現役で最も注目のダイヤモンドポリシャー(カッター)の一人なのです。
※アントワープブリリアント以外のブランドではベルト氏の名前を謳う事は今後もありません。
ダイヤモンドカットと研磨の歴史についてもくわしく説明しておりますのでご参照ください。
ベルト氏が生まれたアントワープ(ANTWERP)
フィリッペンス・ベルト氏が生まれたのはベルギー王国のアントワープ、ダイヤモンド業界において外す事の出来ないアントワープとはどんな街なのか少しご紹介させていただきます。
アントワープは日本では「フランダースの犬」の舞台となった事で有名なのではないでしょうか?その他にもベルギーといえばチョコレートですが『ゴディバ、ヴィタメール、メリー』等人気ですよね!中でもアントワープといえば『デルレイ(DelRey)』の本拠地としても有名ですね。
チョコレートとダイヤモンドは両者とも産地と加工地が似ている事は意外な共通項です。
ベルギーは首都ブリュッセル以北を大きく「フランダース地方」南部を「ワロン地方」と呼びます。(※首都ブリュッセルは厳密には『ブリュッセル首都圏』と呼ばれワロン地方にもフランダース地方にも入りません。)
アントワープはフランダース地方最大の都市で現在の人口は約50万(2017年)ダイヤモンドとの係りは深く14世紀までさかのぼります。
街並みには中世の建築物が今も残り往時の雰囲気を感じる事が出来ます。
街の玄関口である鉄道の駅舎(写真右上)や駅前広場にはダイヤモンド博物館(写真左上)歴史を感じる建造物が迎えてくれます。
アントワープ市街地の中心部にはフランダースの犬で最後の舞台となるノートルダム大聖堂(写真左下)この中には実際にルーベンスの宗教画がかけられています。
アントワープはヨーロッパにおける交易の拠点として中世には既に栄えており、アントワープには世界中の交易船がやってきて盛んな貿易が行われていました。
その為交易品のギルドや倉庫はもちろんのこと加工などを行う施設も発達しました。ダイヤモンドもその一つで14世紀にはダイヤモンドをダイヤモンドで切断する『ソーイングブレード』やダイヤモンドでダイヤモンドを磨く『スカイフ』等ダイヤモンドカットや研磨において重要な機械が発明された地でもあります。
一時は隣国オランダのアムステルダムにダイヤモンドカット・研磨の工場地帯が移転していたのですが1900年以降再びアントワープに注目が集まるとダイヤモンド研磨の産業が再び力も盛り返し100年たった今でもダイヤモンド業界内での重要性が高い場所となっているのです。
フィリッペンス・ベルトという”男”
フィリッペンス・ベルト氏は1960年、アントワープ州のケンペンで生まれます。
ケンペンは1980年代まで約2000件ものダイヤモンド研磨工場が軒を連ねるダイヤモンドの一大産地だったと言います。当時ケンペンにはダイヤモンド研磨の専門学校や職業訓練校が有り、町の住民の大半がダイヤモンド研磨に携わっていたそうです。
上写真)現在ベルト氏の研磨アトリエが有るのは閑静な住宅街の中
フィリッペンス・ベルト氏は少年期に兄弟の誘いでダイヤモンド研磨の道を志します。
小さな町工場でキャリアをスタートさせたベルト氏は人並外れた技術の取得スピードで技術を習得して技術向上して行きます。
1979年大手サイトホルダーの研磨工場へ移籍してさらなる高みを目指します。
そして1980年頃からベルト氏は自身の研磨して仕上げたダイヤモンドが放つ『輝き』に注目し始めます。
それは孤高の研磨師となったベルト氏にしか感じ取れない特別な感覚でした。こうしてベルト氏は『ダイヤモンドの輝き』と真剣に向き合い始めます。
ダイヤモンドの輝きは大きく3つの要素のバランスで決まります。
全体の輝きブリリアンス(ファイヤー)、七色の輝きディスパージョン、星の様な表面反射する輝きシンチレーション。この3つのバランスはもちろんのこと一つ一つの要素をもっと極めるにはそうすればよいのか?そんな自問自答を繰り返しながら毎日毎日ダイヤモンドを研摩し向き合う日々・・そんな中、業は進みます。
毎日毎日ダイヤモンドと向き合う、磨いて磨いて磨きぬく作業の中でベルト氏は究極の平面を目指し研磨します。
すべては星が煌めきく様な一瞬の強い表面反射を生み出すため。
それは同時に研磨しすぎては失われてしまう光を意識し、より多くの色をダイヤモンドの中からストレートに呼び覚ます為に、研磨角度の追求と一つ一つのファセット面の一致。
ダイヤモンドが輝く為に存在する複数の要素を加味しながら仕上げていきます。
ダイヤモンドを仕上げる作業は時に矛盾し合う要素を同時にいくつも追いかける作業なのです。
ダイヤモンドを宝石の王たらしめるために
ダイヤモンドの語源は『征服されざる者』という意味を持つ『アダマス』だと言われています。
人の力ではどうにも出来ないという意味を持つダイヤモンド。
摩耗に対して超硬素材である反面、衝撃に脆く、落下や強く打つと簡単に割れてしまう事も・・・
その比類なき硬さと脆さは 強大な権力を持った王侯貴族や優れた学者にもどうにも出来なかったのです。
そうしていつからかダイヤモンドは『宝石の王』と呼ばれます。
そもそも人類は宝石に様々な思いを寄せてきた歴史があります。
ある時は権力の象徴となったり富の象徴だったり、決意や想いを込めてみたり、そして究極的には愛の象徴として、、、造り物ではない美しさに心を惹かれるのは時代が違っても同じこと。
時に人の心を狂わせてしまうよな逸話を持つ魅惑の宝石ダイヤモンド。
そしてその中に眠る美しさを引き出すのは何時の時代も研磨者であるベルト氏達なのです。
何千何万ものダイヤモンドを見、それを使う人に触れ、一つ一つ違った個性を持つ原石と向き合い、そのダイヤモンドの持つ最高の輝きを追い求める。
その中で業を進める日々
ダイヤモンドを究極まで美しく仕上げる事が出来たなら、、、
『究極美、、それは見た人の心を惑わし若しかしたら狂わせるのか?』との問いに
ベルト氏は『そうでなければ、そういう美しさを持ってなければダイヤモンドである意味はない』と仰っておられました。
ベルト氏の磨くダイヤモンドは多くが1ct以下の”ポインター”と呼ばれる小さなサイズのダイヤモンドです。
資産価値や動産価値とは少し違うサイズのダイヤモンドを研磨します。
だからこそ、それを使う人にとって『自分だけの宝物となる』宝石の王としてのダイヤモンドを届けたい。
それに見合う美しさを引き出す。それがフィリッペンス・ベルト氏なのです。
最高グレードのプリンセスカット登場
そして2018年それ迄はラウンドブリリアントにしか基準が無かったカットグレードにおいて世界で初めてプリンセスカットのエクセレントを達成させます。プリンセスカットのエクセレントは鑑定を担当するデビアスグループによって制定されました。開発に挑戦したフィリッペンス・ベルト氏率いるTOPチームはダイヤモンドを対称に磨き上げる事において世界最高の技術を持っています。ステップカットとブリリアントの融合によって難しい面構成のプリンセスカットは研磨技術の良し悪しがラウンドブリリアント以上に影響するのです。
ダイヤモンドを対称に磨く事は、単純な作業ですが高い技術が要求されます。ラウンドブリリアントの様にベゼルファセットが全周に8個隣り合って配置されて居るわけではないので、ベゼルファセットも四角の隅に対角線上に4つ配置されており、これの研磨角度を四隅で対称にあわせる作業は大変な高い技術が要求されるのです。また、3段に設定されたシェブロンファセットもそれぞれ確度の違うレベルに均等な幅で配置する事が求められます。こうした対称性を追求してしかも比較的大きな平らなファセット面を均一に磨きだすポリッシュ技術は正に熟練の技なのです。フィリッペンス・ベルト氏はこの後プリンセスカットのエクセレントがスタンダード化するように技術指導していくそうです。
Antwerp Brilliantのシンチレーション(ホワイトライト)
ダイヤモンドの研磨機スカイフにトングに固定したダイヤモンドを押し当てて研磨します。
その際ベルト氏の指先に伝わるわずかな振動情報を頼りに100分の 1 ミクロンを磨き込みます。
すべてはダイヤモンドの中に眠る究極の表面研磨にたどり着くため、地上最高の硬度を持つダイヤモンドから強い輝きを引き出すためにどこまでも平面を追い求めて研磨されています。
一つ一つのファセットからベルト氏のクオリティーレベルで眩い輝きを放つまで、そうして研ぎ澄まされた紫電を生み出していきます。
Antwerp Brilliantのディスパージョン
ダイヤモンドに入射した光は内部で反射するたびに分散し七色の光となります。
それはまるで原色を纏った無数の光の衝突のよう。
ベルト氏はダイヤモンドの内部で眠る 無限の虹彩(光彩)をダイヤモンドから呼び覚ます究極の研磨角度でダイヤモンドを仕上げます。
光の 3 元素それぞれを最高の状態まで引き出すべく対称性を追い求め、分散光のスペクトルが最高に達したとき、はっきりした光の色がその場で混ざり合うような輝きに。
ベルト氏が目指すのは無限の虹彩、『その光は何色なのか?』と問われれば、それは分類不能の無限色・・・ダイヤモンド色。
Antwerp Brilliantのブリリアンス(ファイヤー)
最高のシンチレーションとディスパージョンを備えたダイヤモンドにこそ発揮できるブリリアンスが有ります。
それは炎の様な揺らめき、ダイヤモンドの表面が超高温であるかのような光の揺らめき。
蜃気楼のように揺らめいた次の瞬間、すごく直線的ではっきりとした色で輝きを放つまるで燃えているようなダイヤモンド。アントワープブリリアントはそんな輝きを求めて研磨されています。
フィリッペンス・ベルト氏率いる研磨チームは、現在までに約500万個以上のダイヤモンドを研磨し、主に2ct~0.15ctサイズにおいて世界最高クラスの研磨レベルを誇っています。しかもアントワープブリリアントでは現在フィリッペンス・ベルト氏の為にダイヤモンド原石ROUGHを厳選しています。
私たちは世界最高品質のボツワナ・ジュワネング産を中心にナミビア・カナダ・南アフリカの高品質鉱山から選びだされた上質なダイヤモンド原石だけをベルト氏の為に選別しています。
フィリッペンス・ベルト氏はその中からさらに自身で上位10%だけを厳選(10石あるとベルト氏が選び取るのはわずかに1石のみ)します。フィリッペンス・ベルト氏によって選定されるダイヤモンド原石はベルト氏の審美眼で最終選定されています。宝石の美しさは数値化できません。価格と希少性は国際的な評価基準4Cによって決められていますが、美しさは4Cでは判断できません。ダイヤモンドの美しさは原石の良し悪しと研磨者の腕前で決まると言われますが、BRIDGE銀座アントワープブリリアントギャラリーでは原石の美しさを見抜く研磨者の審美眼を大切にしています。フィリッペンス・ベルト氏は「これは美しくなる原石なんだよ」と一言で表現していますが、仕上がったダイヤモンドは例外なく鮮やかな虹色で、ひときわ明るく、そして暖かい輝きを放つのです。それはもともと原石その物の持つ美しさを研磨者の技術で引き出して初めて発輝されるものなのです。
最高のダイヤモンド原石を最高の研磨職人が仕上げる。アントワープブリリアントは正に究極×究極のダイヤモンドなのです。
BRIDGEブリッジ銀座AntwerpBrilliantGALLERYでぜひその至高の輝きをお確かめください。