ルドウィック・ヴァン・ベルケム(Lodewyk van Berken)
Lodewyk van Berken ルドウィック・ヴァン・ベルケム(英語読みでLudwig van Berquem)
人類史上初めてダイヤモンドを研磨したと言われる伝説のダイヤモンド研磨師。時のブルゴーニュ公シャルル突進公のオファーでサンシー、ボーサンシー、フローレンティンを研磨した。特にフローレンティンはダイヤモンド史上初めてのシンメトリーなファセットを持つペアシェイプ。ボーサンシーは全面ローズカットのダイヤモンドだった。
ダイヤモンド研磨の報酬としてこの時のベルケムは3,000ダカットの報酬を受けています。1ダカットはベニスで発行された純金の金貨です。重さ約3.5gですから3,000ダカットはざっと純金10,500gです。金1グラム2018年現在約5,000円とすると・・ざっと5,250万円!!すごい大金です。いつの時代も特別な世界でたった一人しか出来ないようなことをやってのけると言う事はものすごい事なんですね。・・・・それにしても10キロもの金塊を持ち歩くのは大変だったでしょうね。
また、ルドウィック・ヴァン・ベルケムは世界初の自由貿易港だったベルギー・ブルージュの硝子ギルドの長だったとする説も有り、ガラス加工の技術転用でダイヤモンドを加工したと考えられています。ベルケムの発明したダイヤモンド研磨機”スカイフ”は現在もダイヤモンド加工の現場でメインに使われる主要工具の1つです。
2012年ボーサンシーはスイスの老舗オークションハウス「サザビーズ」で競売にかけられ904万2500スイスフランで落札されました。サザビーズはこのダイヤを「今まで競売に掛けられた中で最も魅惑的でロマンチックな宝石」と説明しました、またサザビーズの会長は「あなたが購入するのは単なるダイヤではなく、歴史的芸術品なのです」とコメントを残しています。
ベルケムのダイヤモンド物語
そんなベルケムにまつわる言い伝えで、ベルケム自身が婚約したいと願った女性に求婚したときのエピソードが残っています。
宝石研磨師の道を志したばかりの若かりしベルケムは研磨師の親方(師匠)の娘に恋をします。そして二人はいつしか愛し合うようになりベルケムはプロポーズします。しかし家柄の合わない者同士の結婚を許さない時代だった事も有り、低い身分の家の子で、まだ駆け出しだったベルケムが自分より身分の高い親方の娘と結婚する事は世間的にも認められませんでした。
そこで親方(師匠)はベルケムに無理難題を出して娘との結婚を諦めさせようします。その無理難題とは【ダイヤモンドを磨く】と言うものでした。それが出来たらベルケムを一人前と認め結婚を許すと言います。親方(師匠)は暗に娘との結婚を諦めさせようとしたのでした。当時ダイヤモンドは打撃を加えて切断したり割ったりすり事は出来ましたが、研磨して光らせる事が出来ませんでした。
そのためルビーやサファイヤに比べてもダイヤモンドの宝石としての重要度は低く宝石としても注目を集めていませんでした。そのため当時の宝石研磨と言えばルビーやサファイヤなどの色石が中心で、ダイヤモンドはその硬さを活かして石に字を書いたり、鉄に傷を付け文字を書いたりする道具として使われていたのです。
ダイヤモンドを磨く、それは長年ダイヤモンドなどの宝石を取扱っていた親方(師匠)を含め名売ての研磨者にも成し得なかった事だったのです。
諦めきれないベルケムは寝る間も惜しんでダイヤモンドを磨くことに没頭します。しかし・・・数多の先人が挑んで出来なかったことが、いきなりベルケムに出来る筈も有りません。何年もの間 試行錯誤を繰り返し挑戦しましたが、ダイヤモンドを磨く事はどうしても出来ない!ついに投げ出してしまったベルケムは研磨しなければならないダイヤモンドを放り出してしまいました。
その時です。
ベルケムの投げたダイヤモンドが何かに当たって火花を散らしました。「?」その火花を見逃さなかったベルケム、それまでベルケムがどんなに頑張って試行錯誤して様々挑んでもビクともしなかったダイヤモンドが火花を出した・・・何に当たったのだろうか?ベルケムが自分で投げたダイヤモンドのところまで行ってみるとそこには偶然にも別のダイヤモンドが在ったのでした。ベルケムはこの事をヒントにダイヤモンドをダイヤモンドで磨くという全く新しい研磨法を編み出し見事に親方(師匠)のダイヤモンドを磨き上げるのです。
ダイヤモンドはダイヤモンドによって磨かれ人間は人間でしか磨けない、実はダイヤモンドの研磨は愛の情熱によって発見されたのかもしれません。
それを見た親方(師匠)は娘との結婚を承諾し、晴れて二人は結ばれたと言いう事です。
その後のベルケムは大活躍し稀代の宝石研磨師へと昇り詰め幸せな結婚生活を送るのです。