オレンジ自由国(Orange Free State)
アフリカのダイヤモンド・ユーレカ我発見セリ
オレンジ自由国(Orange Free State) 1854年 – 1902年南アフリカの覇権をめぐって建てられた自由国(自治区)オレンジ川とヴァール川に挟まれた地域に先住していたオランダ系移民とその子孫(ボーア人)によって1854年に建国された。
1866年アフリカで最初のダイヤモンド”ユーレカ”が発見されると以降漂砂鉱床でのダイヤモンド発見が相次ぎ、ついに1890年代にダイヤモンドの一次鉱床が西部グリカランドのキンバリーで発見されます。同時に金鉱山の鉱脈発見も相次ぎ、豊富な地下資源をめぐってイギリス本国から白人の鉱山技師が大量に流入しはじめます。後のダイヤモンドカルテル”デビアス”の総帥セシル・ローズやアーネスト・オッペンハイマーもこうした白人鉱山技師として南アフリカへ派遣されてきた人々の中の一人です。イギリスはこの技師たちの保護を大義名分としてオレンジ自由国を領有化しようとします。
しかし、白人の待遇が先住のボーア人より遥かに悪かった為、イギリスはこれを材料にオレンジ自由国を自治するボーア人に対して抗争をしかけます。抗争は戦争に発展しイギリスはケープ植民地への軍事力を大幅に増強してこれに当たり、1899年には第二次ボーア戦争を起こしてオレンジ自由国を事実上支配します。その後1902年のフェリーニヒング条約によってオレンジ自由国を解散、イギリスの植民地になったのです。
オレンジ自由国は大規模な金鉱脈の発見とダイヤモンド鉱山が発見されるとその地下資源をめぐってイギリスと対立して滅ぼされ国なのです。なお、ヴァール川の対岸(北側)には、「ヴァール川の向こう」を意味するトランスヴァール共和国が有りました。