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ジョセフ・アッシャー(Joseph Asscher)

ジョセフ・アッシャー(Joseph Asscher)

ダイヤモンドデザイナー・カッター・グリーパー・ポリッシャー

ジョセフ・アッシャーは彼の父で同名のジョセフ・アイザック・アッシャーによって1854年に設立したアッシャーダイヤモンド2代目の弟として生まれます。兄弟のアブラハムとジョセフは”アッシャーブラザーズ”と呼ばれ二人とも天才ダイヤモンドカッターとして活躍していました。後にアブラハムは政治の道へ進みジョセフはダイヤモンド加工の道で成功することに成ります。

父のもとで修業を積みダイヤモンドカッターとして研鑽を積んだジョセフ・アッシャーは1902年に自身の開発した変形カットダイヤモンドの特許申請をしています。その時申請されたのは8角形のオールステップカット”アッシャーカット”です。これは世界初のダイヤモンドシェイプの特許申請でした。

そしてその功績を認められて1907年に英国の君主であるエドワード7世から当時世界最大のダイヤモンド原石”カリナン”のカットを依頼され、このカットを見事に成し遂げます。ジョセフとアブラハム・アッシャーは世界最高のダイヤモンドグリーパー、カッターとしての名声を手にすることになるのです。ジョセフの兄アブラハムがカリナンの依頼が来る前にエクセルシオールという巨大ダイヤモンド原石をカット研磨した実績があった為、経験と実績が重要視されたダイヤモンドのグリーピングの依頼で当時世界最高の技術と経験を持つとされたアッシャー兄弟にカリナンのカット依頼がなされたものでした。

ジョセフがダイヤモンドカット事業を継続する中で兄のアブラハムは政治の道に進みます。アブラハムの活躍によりジョセフのダイヤモンドは社交界で大きな評価を得て多くの皇族、政治家や貴族、有名人の顧客を獲得していきます。しかし世界大戦の最中で台頭するナチスドイツはジョセフ達ユダヤ人の迫害を開始します。オランダも戦火を逃れることは出来ずジョセフとアブラハムも巻き込まれていくことに成ります。

ジョセフの兄アブラハムは当初アムステルダム商工会議所のメンバーであり、1917年から1940年まで北ホラント州の地方議会代表で自由党の指導者の一人でした。大戦中に多くのユダヤ人がアウシュビッツへ送られる中でナチスドイツと関係を持ち政治的な地位を固めていきます。最終的に投獄されますが、それまでのユダヤ人に対する政治的な動きに不審な点が多く、しかも自身は終戦後に生き残ってしまう事から(105,000人以上が強制収監されその殆ど104,000人が虐殺されます。)戦後ユダヤ人を迫害するナチスドイツとの関係を疑われユダヤ人名誉評議会から5つの罪で起訴され有罪となってしまいます。これによりアブラハムはユダヤ人コミュニティーからは完全に追放され、その後ユダヤ人社会との関係を断つことに成ります。1950年に亡くなりますが、偉大なダイヤモンドカッターの末路としては余りにも悲運な最後となってしまいます。戦後多くの文献でこの事は再検証されていますが、アブラハムがユダヤ人コミュニティーに復帰する事は在りませんでした。しかしユダヤ人名誉評議会の決断には賛否あるのも事実です。

政治的に大きな力を持っていたアブラハムによって弟のジョセフに様々なダイヤモンドのカット依頼を持ち込んだとする考え方もある様です。特に歴史的な重要性を無視して複数の石にカットされたエクセルシオールの発見から原石販売までの不可解な動きや秘密裏に販売されたことについて指摘する文献も有るほどです。しかしその全ては謎に包まれているのです。

※あまりに政治的な問題のためここでは詳細を控えます。

ジョセフとアブラハムの会社は第二次大戦で一度は完全に途絶えますが ジョセフとアブラハムの離散した家族は終戦後に再集結しに事業を復興し1980年にはロイヤル・アッシャー・ダイヤモンド・カンパニーに社名変更し現在もオランダ・アムステルダムでダイヤモンドビジネスを展開し歴史あるダイヤモンド企業として活動しています。

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