アールビー(RB)
ラウンドブリリアントは婚約指輪で最も人気の高いダイヤモンドの形
RB(あーるびー)は宝飾業界の専門用語の一つでラウンド・ブリリアントカットのダイヤモンドを指す言葉、正面(フェイズアップで見て)から見て丸形のブリリアントカット。女性人気が高くプロポーズ用のエンゲージリングで最も使われる形のダイヤモンド。
ブリリアントカットは1600年頃開発され、ジュールマザラン枢機卿によって設計されたマザランカットをイタリアの研磨職人ヴィンセント・ペルッチによってカット研磨して仕上げたのが最初とされており、それを1850年、更ににアメリカのダイヤモンドカッター、ヘンリーDモースが蒸気機関式のブルーティングマシーンでダイヤモンドの輪郭を丸く磨きあげて完成させた。
現在最もポピュラーなダイヤモンドのカット形状の1つ。現在でも2カラット以下サイズでは90%以上に採用されている。しかし光の利率が高く輝きが強いために2ct以上のサイズでは採用され辛く5ct以上のサイズではほとんど見かけなくなる。
これは輝きすぎる事と原石の目減り率の高さ(歩留まりの悪さ)が原因です。ラウンドブリリアントカットは基本的に1ct以下のサイズ”ポインター”専用のカット形状と言えます。
ダイヤモンドの輪郭を整えるブルーティングを実行するには高い動力が必要だったため蒸気機関駆動の加工機が開発されるまでは、産出した原石の形そのままに仕上げるのが一般的でした。クリービング技術を使ってダイヤモンドを切断する事も出来ましたが、1880年以前はダイヤモンドの結晶目が不明だったため、クリーピングで分割するときに思わぬ方向に割れてしまうリスクも大きく採用されることは稀だった。
また1880年以前に発見されるダイヤモンドは全て二次鉱床の原石だった為に自然によって角が丸められて比較的丸みのある原石が多かった為に自然なラウンドブリリアントカットは意外に多く存在した。ただし、自然によって丸められていたので目視レベルでも楕円が殆どで真円に近い形状は稀だった。
ダイヤモンド輝き追及の歴史は古く
1477年にルドヴィック・ベルケムによってポリッシュが発見され、1600年ヴィンセントペルッチによってブリリアントカット、1850年にヘンリーDモースによってラウンドブリリアント(good)その後、マルセル・トルコフスキー等によって光学理論の研究が行われた。
ダイヤモンド美しさは異なる複数の光の作用によって生み出される為に、そのどれをもって最高とするか?は非常に難しい問題となった。
1900年代初頭は光学理論も未熟で不完全だったためにマルセル・トルコフスキー氏らによって【光学的に最高】とされたカット形状は現在のベリーグッドとして評価される。1988年GIAは最終的に”エクセレント”の設計図を発表し、ダイヤモンドの評価基準が3C(重さ、色、透明度)から4C(重さ、色、透明度、形)へとアップグレードされた。1988年当時、設計図完成したものの実際のダイヤモンドをエクセレントに磨き上げる事は困難を極め、なかなか達成がされずにいた。
ダイヤモンド研磨において先行していたベルギーやオランダ、ニューヨークなどは開発競争が激化していたが、ベルギーアントワープのダイヤモンド研磨業界は約2000名の研磨技術者の中から選抜されたTOPチームを編成、フィリッペンス・ベルト氏をリーダーとしてエクセレントカットの達成の為に専念させた。
その結果ベルギー・アントワープのTOPチームは約2年の研究期間と試行錯誤を経て遂にダイヤモンドの最高グレードを達成させた。このプロジェクトはベルギー・ダイヤモンド研磨界の威信をかけた挑戦と言えた。
こうして1990年にフィリッペンス・ベルト氏率いるTOPチームによって最高グレードが達成された。ベルト氏はこの後1993年にハート&キューピッドを発見した。ハート&キューピッドは誰にでも簡単に目視でダイヤモンド研磨の正確性と対称性を確認できるだけでなく、ハートと矢の模様が女性の心を射抜くと話題になり世界に広がっていった。
この発見でそれ迄様々なカット形状に仕上げていたダイヤモンドの中でラウンドブリリアントカットの人気を不動の物にした。
1988年以前のRBは全て非正規の形
GIAはラウンドブリリアントカットの発表に伴い、それまで発表されたすべての自称ラウンドブリリアントカットのダイヤモンドを全てモディファイテッドラウンドブリリアントカットと定義しラウンドブリリアントカットとしては非正規であるとした。その後、ダイヤモンドの輝き判定測定器や光のパフォーマンスを測定する機材などにより、現在のエクセレントカットよりも数値上美しいとされるカットも多数誕生したが、それらは測定器の数値もGIAによって否定されている。
ダイヤモンドの美しさは数値化できるものではない。