ブルーダイヤモンドは不幸の宝石?
サムシングブルーは花嫁に幸せを運ぶおまじない
結婚式当日に何か青い物を誰にも見られない場所に身に着けると幸せになれると言うヨーロッパの言い伝えをご存知でしょうか?ブルーのダイヤモンドはそのサムシングブルーになぞらえて結婚指輪のインサイドセッティング(シークレットストーン内径宝石)として選ばれることが多いです。ブルーダイヤモンドがブリッジでも橋と一対の清らかな川の流れとして使われるなどそのイメージは幸せそのものです。決してブルーダイヤモンドが呪いの宝石等という事は在りませんのでご安心ください。
呪いの伝説を持つブルーホープ
宝石の逸話は様々にあるのですが取分けダイヤモンド逸話は多く、しかも多岐にわたります。比類なき美しさは時に人の心を誘惑し狂わせてしまうのではないか?そんなある意味おかしなことまでを連想させる力を持つ宝石がダイヤモンドです。古来人類はダイヤモンドの持つ例えようのない美しさと強さに自身の想いや夢愛や希望を託し後世へ伝えてきた歴史があります。
ブルーダイヤモンドで有名な話としては持ち主が次々謎の死を遂げてしまうブルーホープなどが有名なのではないでしょうか?ブルーホー;プダイヤモンドの逸話を紹介してみます。昔9世紀ごろインド南部のデカン高原にあるコーラルという町を流れる川で、一人の農夫により発見されました。ブルーホープはタイプⅡbのダイヤモンドである事からゴルゴンダ産であるとされています。発見された時のブルーホープは濃い青色をした112.5ctの大きなダイヤモンド原石でした。原石からの加工により表面にファセットを僅かにつけただけのムガールカット仕上げられました。
その後、間もなくペルシア軍(現在のイラン)がその地に侵入してきて、農夫を殺し、ブルーダイヤモンドを持ち去ります。ペルシア軍の司令官はその青いダイヤモンドを国王に献上しましたが、その司令官は死刑になり、国王も臣下の謀反で殺されたとされています。
伝説ではなぜ死刑になったか?は語られていませんが9世紀だと中央アジアのアンナフル地方を支配した”サーマーン朝”と思われます。余談ですがサーマーン朝はイラン人系のイスラーム政権で中央アジアにおける最初のイスラーム政権でした。この辺は不幸演出の為のフィクションだと考えられています。伝説では17世紀のフランスの業商人、ジャン・バティスト・タヴェルニエが、インドの寺院にラマ・シタ像の眼として祀られていたブルーホープを取り外しヨーロッパへ持ち出した後、「直後に熱病で死んだ」とか「狼(野犬)に噛み殺されたて死んだ」等の逸話がありますが、これもフィクションです。ダヴェヌリエは84歳まで幸せに暮らしています。「王冠の青」あるいは「フランスの青(フレンチ・ブルー)」
ここから少し年を追ってブルーホープを追いかけてみます
1668年タヴェルニエからフランス王ルイ14世がブルーホープを購入します。古代ムガールカットであまり輝いていなかったホープはリカットされ69.03ct(67.13ctとも)、リカットされたブルーホープは「王冠の青」あるいは「フランスの青(フレンチ・ブルー)」「ブルーダイヤモンド」と呼ばれた。このダイヤは王の儀典用スカーフにとり付けられた。その後、フランス王ルイ15世は、このブルーホープを金羊毛騎士団用ペンダントに付け直しました。
1792年9月11日フランス革命のさなか窃盗団が王室の宝玉庫に侵入し宝石類を強奪する事件が勃発する。窃盗団のギヨは1796年に宝石類を売却する、しかしこのタイミングにブルーホープは売却されていない。フランス革命ではルイ15世の愛人デュ・バリュー夫人や、ルイ16世王妃マリー・マントワネットが断頭台で処刑されています。これらの非業の死についてはブルーホープとはあまり関係ない気もしますが?どうでしょうか?
1812年9月記録ではイギリスのダイヤモンド商ダニエル・エリアーソンが出所不明の大きなブルーダイヤモンドを持っている事でブルーホープは再び表舞台に出てきます。このブルーダイヤモンドがフランス革命の混乱中に持ち出された「ブルーホープ」であることが、後にスミソニアン協会やフランス国立自然史博物館によって鑑定されています。ブルーホープは犯罪の時効期限の丁度20年で表舞台に戻ったのです。この間オランダ・アムステルのダイヤモンド研磨工の元で磨き直しをかけたるのですが、それを担当した宝石商は磨く宝石の価値の高さのあまりに精神病になってしまい死んでしまいます。その息子もダイヤモンド研磨の対価として大金を手にしますがすぐに破産して自殺したと言われています。これについては正確にどこの誰か?判りませんのでフィクションと思われます。
そしてロンドンで競売に掛けられたブルーホープを実業家のフィリップ・ホープが競り落とし所有します。フィリップはブルーホープを落札後謎の不調に見舞われ数年後に亡くなってしまいます。フィリップ・ホープ死去。以後3人の甥が10年以上に渡ってこのダイヤを含む宝石の所有権を裁判で争い一家はバラバラになってしまいます。その後ホープ家は4代にわたってブルーホープを所有ますが破産してしまいブルーホープを手放す事に、その後さまざまな人の手を転々とするブルーホープしかし所有者は非業の死を次々遂げてしまいます。伝説ではこの後、所有者となったフランスの宝石ブローカーが気が狂って自殺し、パリの女優ラドル嬢は舞台上で愛人のロシア人に射殺され、その愛人も革命家に殺されてしまいました。その後の持ち主となったトルコのスルタンは革命によって王位を追われ、ギリシアの宝石ブローカーは妻子と一緒に自動車で崖から転落死します。本当は幸運の宝石ブルーホープ
しかしこれらは完全にフィクションであると考えられています。史実では1万8000ポンドでホープ家の物になったブルーダイヤモンドは1902年頃に2万9000ポンドでロンドンの宝石商アドルフ・ウィルに売却され、続いてアメリカのダイヤモンド商サイモン・フランケルに売却されます。フランケルはダイヤをニューヨークに持ち込み、14万1032ドル相当と評価されています。売買を通り超えてその価値はうなぎ上り!所有者は皆富豪になっているの部分もあるのです。
フランケルからブルーホープを買い取ったフランスの宝石商カルティエはホープダイヤを装飾し直してブルーホープ最後の持ち主となるマクリーン夫人に売却しますマクリーン夫妻はアメリカの社交界の名士でした。マクリーン夫人はホープダイヤモンドを社交の場で常に身に着けていました。また、ペットの犬の首輪にこのブルーダイヤモンドを付けていたのは有名な逸話として残っています。
このようにダイヤモンドを愛好してたマクリーン夫人は呪いの伝説なと信じていませんでした。それでも夫人は「ホープダイヤモンド」を教会に持ち込み、神の祝福をしてお祓いしています。しかし呪いは続きマクリーン夫人の長男が交通事故死。さらに夫は精神病で死に、娘までも変死、その数ヶ月後には、マクリーン夫人も肺炎で病死しました。伝説では一家全員が死に絶えることに成っていますが、孫がいる事からこれも事実とは異なる様です。しかし、このころからまわりの人々までもがホープダイヤモンドの呪いについて噂しはじめました。一家の相続人はマクリーン夫人のホープダイヤモンドをアメリカ・ニューヨークの宝石商ハリー・ウィンストン氏に売却。実際呪いの噂でなかなか買い手が付かなかったとされています。ハリー・ウインストン氏はブルーホープを再度磨きなおすことにし45.52ctのクッションモディファイトブリリアントカット(Cushion Modified Brilliant Cut)現在の形にリカットします。そして1958年11月7日ハリー・ウィンストンはスミソニアン協会にホープダイヤモンドを寄贈し現在もスミソニアン博物館に展示されているのです。※GIAによるグレーディングではFancy Dark Grayish Blue-VS1