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ラウンド(ブリリアント)カット Round (Brilliant)Cut

ROUND CUT ラウンドカット

ラウンドカットは宝石のカット形状の一つです。フェイスアップで丸く研磨した宝石を指します。なるべく真円を選ぶとよいでしょう。代表格はラウンドカットをブリリアント仕上げしたラウンドブリリアントカット。この形状だけはダイヤモンドの4Cでグレード等級付けされます。(※2019年にプリンセスカットにもカットグレードが導入されました。)

ダイヤモンドは2020年現在もフェイスアップでの計測で縦と横の長さが同一のものは非常に稀です。天然石の為に最新型のブルーティングマシーンを使ってガードリングしてもほんの0.01㎜単位での誤差が生じます。これはダイヤモンドは工業製品ではなく天然石である証と言えるかもしれません。

1800年(頃)ラウンドブリリアント誕生

1850年アメリカ・ボストンのダイヤモンドクリエイター”ヘンリーDモース(Henry D Morse)”によって蒸気機関式のブルーティングマシーンが開発されました。この開発によってダイヤモンド開発はあたらしい局面に突入します。当時ダイヤモンドの輪郭を整える作業は困難を極めました。超硬素材でダイヤモンドは硬すぎるため、輪郭を整える事が出来ず、基本的に原石の形を活かしたカットに仕上がる外無かったのです。ダイヤモンドをクリーピング(カットする)する選択肢も有りましたが、思わぬ方向に砕けてしまうリスクが有るなど結果が不安定なクリーピングはあまり行われていませんでした。モースの開発したブルーティングマシーンで輪郭を自在に整える事が出来るようになると、ダイヤモンドは左右対称のカットスタイルが流行します。

インドやブラジルなどの二次鉱床産出のダイヤモンドは自然に磨かれて原石の角が丸く、もともと丸い形状に仕上げるに適した状態で産出することが多かったのですが、一次鉱床ではダイヤモンド原石の形は角ばっていたために丸い見た目に研磨仕上げすることは困難を極めました。

蒸気機関などの高出力のブルーティングマシーンが開発されるまでは原石の形に添ったカットか、原石の目に沿って四角く仕上げるしかなかったダイヤモンドは2辺を丸く研磨してマーキースカットが出来上がります。その後、3辺を丸く仕上げたペアシェイプが開発され、さらには4辺を仕上げたオーバルカットが開発されます。そして最終的に4辺を丸く仕上げ全体を真円にカットするラウンドカットが誕生するのです。モースの作り出したラウンドカットはそれまでに開発されていたオールドヨーロピアンカットとは明らかに美しさが異なっていました。

※オールドヨーロピアン(トリプルカット)からラウンドブリリアントへの進化には蒸気機関式のソーイングマシーンが開発されダイヤモンドのソーイングが割と広範囲に行えるようになってきたことで、それ迄なるべく小さく仕上げるより他が出来なかったダイヤモンドのテーブルを広くとることが出来るように成った事も大きな要因とされています。それでもこの時代の切断機ではダイヤモンドを仕上げるには膨大な時間を要しました。

ダイヤモンドの運命を変えるカール・ツァイスとの出会い

1870年ダイヤモンドの運命を大きく変える出来事が起こります。それは”ヘンリーDモース”がドイツの”カール・フリードリヒ・ツァイス(Carl Friedrich Zeiss 1816-1888)の光学論を学んだ事です。(ツァイスはドイツの光学機器製造業者で、現代のレンズ作製技術に大きく貢献した人物)この頃までにラウンドカットにブリリアントファセットを施していたモースは”重さよりも輝き重視”のカットスタイルを目指して研究を進めていました。そしてモースは光学機器製造を生業としていたツァイスの数学理論を用いてダイヤモンドの内部で入射した光がどのような反射をして動くのか?を解明し最適なダイヤモンドの形を導き出します。現在のエクセレントカットの元となる理想的な輝きを放つダイヤモンドの誕生した瞬間でした。
1834から顕微鏡を生産していたツァイスですが1866年頃にはドイツの天文学者、数学者、物理学者、実業家でもあったエルンスト・カール・アッベの数学理論を用いて設計したガラスレンズを開発していました。ツァイスはこの後、複数の数学者や光学ガラスを主とする応用無機材料学者フリードリッヒ・オットー・ショット等と共同で様々なレンズの開発で成功していくことに成ります。そして1870年にツァイスの理論を実践・開発したダイヤモンドの光学理論上最適なカットスタイルは”レッドリングルーペ”と呼ばれます。しかし、レッドリングルーペ理論には問題点が有りました。それは原石をおおきく削り落としてしまってカラットが極端に小さく成る事でした。※現在のエクセレントカットも原石からの目減り率は55%で半分以上のカラットは失われてしまうのです。

それでもモースの仕上げたダイヤモンドの輝きは話題となり貴族の間で人気を博していきます。ダイヤモンドの産地であったインドとブラジルの鉱山でダイヤモンドが枯渇し新しい原石が手に入らないという時代に成るとモースは世界初の”リカット業者”となりそれ迄に販売されたダイヤモンドの再研磨を始めます。ダイヤモンド加工で先行していたベルギーやオランダでは重さ(カラット)と輝き(カット)ならば、重さ(カラット)を優先する風潮が有りましたので、モースの推奨する”輝き優先”の考えは当時のベルギーやオランダのダイヤモンド業界では受け入れられないモノでした。しかし、市場はモースの”カラットよりも輝きの”理論を称賛し受け入れていくことに成ります。ダイヤモンドの所有者は手持ちのダイヤモンドを少しカラットを失ってでも最大の輝きを得るためにモースに再研磨を依頼したのです。

こうしてレッドリングルーペ理論で仕上げられたモースのダイヤモンドは称賛を受け世界で受け入れられていきます。モースのダイヤモンドは現在の4Cに当てはめるとカットグレード”グッド”を獲得します。

1888年キャリアの絶頂期に合ったモースですが自宅の火事で不慮の死を遂げてしまいます。技術者としても活躍していたモースを失ったことでモースのダイヤモンドカットカンパニーは1888年に解散してしまいます。レッドリングルーペ理論の元となる光学理論の開発者ツァイスも1888年に脳梗塞で亡くなってしまうのは二人の運命のリンクを感じずにはいられません。ダイヤモンド業界は当時最高のカット・研磨技術と知識をもった職人を2人同時に失ってしまったのです。(同年、南アフリカではダイヤモンドの新鉱脈が稼働、採掘を手掛けるデビアスグループが発足、ダイヤモンドは供給難から回復します。数奇な事に1888は後にデビアスグループの総帥となる”ダイヤモンド・キング ”アーネスト・オッペンハイマーの生まれた年でもあるのです。)こうしてレッドリングルーペ理論は所在不明のまま不完全な理論だけがダイヤモンド業界内で生き続ける事となります。

1919年マルセル・トルコフスキー

ベルギーの数学者マルセル・トルコフスキーは、彼の著書「ダイヤモンドデザイン」に特定の角度と割合を記録して”アイディアルカット”を発表しました。これはヘンリーDモースによて導き出された”レッドリングルーペ理論”がモースのカットカンパニー解散により詳細が曖昧になり国際特許の期限も切れていためでした。ダイヤモンド業界は大量に産出するアフリカ産によって供給量を確保されたためにカラット(重さ)重視を止めて、ダイヤモンドを重さよりも輝きで仕上げる事に向かていたのです。ダイヤモンド業界はこの時まさに正確な基準を求めていたのです。トルコフスキー理論”アイディアルカット”ではレッドリングルーペ理論同様にダイヤモンドの研磨角度が数値化され可視化されました。ダイヤモンドデザインはダイヤモンドのあらゆる研磨角度が明示された画期的な指標でした。トルコフスキー理論”アイディアルカット”は”エクセレントカット”が発表される直前の1980年頃までダイヤモンドの鑑定鑑別と鑑定を手掛ける国際的な教育機関G.I.A.が宝石学の教材で「理想的なカット比率」として教えるダイヤモンドの設計図でした。

マルセル・トルコフスキーの発表した”アイディアルカット”は彼の従兄弟で天才的なダイヤモンドクリーパー”ラザール・キャプラン氏”によって実践され脚光を浴びます。事実ダイヤモンドの教育機関で国際基準4Cを提唱したG.I.A.でも理想的なダイヤモンドの形として教科書に採用します。アイディアルは”光学的に理想的”という評価を受けカットグレードとしてはベリーグッドとなります。さらに1980年ダイヤモンドの光学研究が進むと、トルコフスキー理論”アイディアルカット”には不完全な部分が有る事が判明します。そこでG.I.A.は1980年にトルコフスキー理論”アイディアルカット”を教科書から外し、独自に最高のダイヤモンドのフォルムについての研究を進めます。その結果1988年ヘンリーDモースの死から丁度100年の節目のタイミングにG.I.A.によって最高グレードが再考案され、ダイヤモンドの評価基準として整備されることに成ります。それまでダイヤモンドのカットグレードは評価基準にはカウントされていませんでした。ダイヤモンドの評価は現在の4Cではなく、重さ、色、透明度の3項目(3C)のみの評価だったのです。1988年こうしてアイディアルカットに代わってエクセレントが理想的なダイヤモンドの形として登場したのです。

1990年フィリッペンス・ベルト

G.I.A.によってエクセレントカット理論が発表されますが、トルコフスキー理論”アイディアルカット”同様に実現には高いスキルが要求されることには変わり在りませんでした。G.I.A.の発表した最高グレードカット、エクセレントは当時世界中の名うてのダイヤモンド研磨者が挑戦しますが実現させる事が出来ませんでした。

ベルギー・アントワープのダイヤモンド研磨業界は当時世界最高の技術を持つとされたアントワープの威信にかけてエクセレントカットを達際させるべくダイヤモンド研磨のTOPチームを発足させます。そのTOPチームは当時のアントワープで活躍していた上位技術を持つ研磨者2,000人の中から選抜されました。最高の技術を持つ研磨グループのリーダーに選出されたのがフィリッペンス・ベルト氏なのです。ベルト氏率いるTOPチームは業界の悲願だったダイヤモンドの最高グレードを1990年、ついに達成します。

そして93年には現在では多くのダイヤモンド業者に浸透したハート&キューピッドを完成させるのです。

興味深い事に2005年、フィリッペンス・ベルト氏の達成した最高グレードのダイヤモンドを100年以上前にヘンリーDモースのレッドリングルーペ理論によって仕上げられたダイヤモンドと比較してみると細かな研磨角度に若干の差異が有るものの、そのフォルムはほとんど同じだったと報告されています。

ヘンリーDモース、マルセル・トルコフスキー、フィリッペンス・ベルト、3人の偉人の手でダイヤモンドの最高グレードの歴史は紡がれてきたのです。

⇒ダイヤモンドの4C CUTについて

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