世界初!究極の美しさを誇るプリンセス カット ダイヤモンド
この秋、皆さまに大ニュースです!!1
2018年マスターカッターのフィリッペンス・ベルト氏は世界最大のプリンセスカットサプライヤーであるサイトホルダーの要請により、あたらしい試みを始めました。それはプリンセスカットにカットグレードを設けると言う世界で初めての試みです。長らく基準が無く、何をもって最高グレードとするか?が決まっていなかったプリンセスカットの輝きを最大に引き出す試みです。しかも今回ベルト氏が取り組むのはトリプルエクセレントです。ラウンドブリリアントにしか採用されて居なかったカットグレード、しかもトリプルエクセレントです。トリプルとはカットの総合評価、表面研磨、対称性の3項目が全て最高評価のダイヤモンドに与えられる名前です。鑑定機関も日本国内初登場となる【デビアス・グループ・インダストリー・サービス(DeBeers Grope industry service)】ダイヤモンドのスペシャリストとして名高いデビアス鑑定によって保障されます。そして2019年11月ブリッジ銀座アントワープブリリアントギャラリーに世界初のトリプルエクセレント評価を得たプリンセスカットダイヤモンドが登場します!
プリンセスカット誕生の歴史
プリンセスカットはイスラエル・イツコウィッツ(Israel・Itzkowitz)という天才ダイヤモンドデザイナー(マスターカッター)の手で開発されました。
イスラエル・イツコウィッツ(Israel・Itzkowitz)は、ダイヤモンドカッター、ダイヤモンドクリエイター、現役でもっとも著名なマスターカッターの一人です。
イツコウィッツは1954年イスラエル生まれ、サイトホルダーの一家に生まれ幼いころからダイヤモンドに囲まれて育ちます。ダイヤモンドビジネス一家で育った彼は14歳で最初のダイヤモンドを研磨しました。その後、天性の才能を発揮して頭角を現しすと、ラウンドブリリアントダイヤモンドではエクセレントが不可能とされた時代においてダイヤモンドの新しい可能性を追求し始めます。イツコウィッツは単純に研磨師としてではなく、ダイヤモンドをデザインするという視点で新しいアプローチでダイヤモンドをカット・研磨して様々な新しい可能性を見出していくのです。
まず手始めに1971年、所属するサイトホルダーの研磨チームに参加して49面のスクエアカット・Quadrillion Cutクァドリリオンカットカットを発表します。
これはレール留め(チャンネルセッティング)においてダイヤモンドとダイヤモンドの間の隙間を無くすことが目的でした。奇しくも前年1970に発表されたバリオンカットのハーフムーンファセットに大きなインスピレーションを得たイツコウィッツはダイヤモンドの光学特性を最大限に生かす90度のカットコーナーを持つダイヤモンドのプロポーションにたどり着くのです。そして1979年にクァドリリオンを進化させたプリンセスカットを発表。プリンセスカットはカラットサイズに応じて77面と58面がラインナップされました。
1985年には自身の開発したレール留め(チャンネルセッティング)を用いた世界初のリングデザインでデビアスダイヤモンドデザインアワードを受賞します。
その後、1988年にはプリンセスカットメレを用いたミステリーセッティング(Invisible set Diamonds)を開発、発表します。
それまでも世界的な幾つものブランドにダイヤモンドを供給してきたイツコウィッツですが、ミステリーセッティングはヴァンクリーフ・アーペル等の世界的に著名なジュエリーメーカーに専属契約で採用されます。ミステリーセッティングはアイコニックなデザインとして現在も多くの女性(人類)を魅了しています。
イツコウィッツはダイヤモンドをデザインする事で世界を驚かせ続けています。その活躍はダイヤモンドの持つ新しい魅力を世界に発信し続けているのです。イスラエル・イツコウィッツはダイヤモンドクリエイターであり孤高のマスターカッターなのです。
プリンセスカットと言う名前が最初に登場するのは、1961年イギリス・ロンドンのダイヤモンドカッターアルパド・ネギー(Arpad Nagy)によってデザインされた “プロファイル(Profile)”カットがプリンセスカットの名称を使用した事によります。しかしこの時プリンセスカットはそれほど有名になるわけではありませんでした。それはヘンリーDモースによって開発されたブルーティングマシーンを使って改善されたステップカットの変形のひとつでしかなかったからです。技術的な問題でブリリアントカットを施す事が出来なかった四角いフォルムのダイヤモンドの持つ魅力を 私たち人類はこの時未だ完全には引き出せていなかったのですね。
1976年にオーストラリア人でディアマンテールの元で修業しマスターカッターとなったヘンリー・グロスバード(Henry Grossbard)はラディアントカット(右図)を開発します。グロスバードが開発したラディアントカットは、それ迄ダイヤモンドデザインにおいて不可能だったステップカットクラウンにブリリアントカットパビリオンを組み合わせる世界で初めてのハイブリットカットでした。ハイブリットな組み合わせはプリンセスカット完成に不可欠な要素であったためイツコウィッツ達はラディアントカットに大きな刺激を受けたと言います。そして更なるダイヤモンドの研究を進めていきます。
当時ダイヤモンドのマスターカッターとして既に名声を得ていたイスラエル・イツコウィッツはダイヤモンドを直線に並べるデザインであるチャンエルセッティングにおいて、ダイヤモンドと隣り合うダイヤモンドの間に僅かな隙間がある事を問題だと感じていました。そこで手始めにイツコウィッツは隙間のないチャンネルセッティングを完成させるためにカットコーナーを持たないダイヤモンドを作り出す決断をします。それは同時に90度のコーナーであっても輝きを損なわない設計が必要でした。しかもこの時イツコウィッツはラウンドブリリアントの様な石の美しさを最大にするカットを望んでいたのです。
イツコウィッツは彼の叔父でダイヤモンドカットの師匠でもあったマスターカッター”イガル・パールマン”(Ygal Perlman)とラディアントカットの開発者ヘンリー・グロスバードの協力を得て、光学的なあらゆる輝きの可能性を試しました。何ヶ月にも及ぶ光学的研究とさまざまな切断方法を用いた数え切れないほどの実験の後、イツコウィッツとパールマンは見事に真っ直ぐな角を持つ新しい正方形のカッティングプラン思い付きます。そして出来上がったカットをクァドリリオンカットと名付けました。※この時クァドリリオンカットの開発チームにはヘンリー・グロスバードの他にも複数の著名なマスターカッターも参加していました。
完成したクァドリリオンカット(Quadrillion Cut)。このカットはダイヤモンドクリエイターでマスターカッターのイスラエル・イツコウィッツ氏らの開発チームで発表されます。クァドリリオンカットは49ファセットでシンプルに仕上げられた四角いダイヤモンドとして注目を集めます。
イツコウィッツは90%の角が隙間を残さずに石を隣同士に並べることを可能にし、チャンネルセッティングにおいて切れ目のない輝きの新しい外観を生み出すことに成功したのです。イツコウィッツはこのカットを使って様々なデザインを生み出していきます。彼の生み出したものの中で特にインビジブルセッティング(ミステリーセッティング)は世界的にも有名な発明と言えます。実はこのクァドリリオンカットの誕生こそ現在のプリンセスカット”その物”なのです。
イツコウィッツによって見いだされた新しい形のダイヤモンド、”クァドリリオンカット”ですが、これをイスラエルのダイヤモンド研磨工たちが真似て多くの四角形のダイヤモンドがこの後、市場に登場します。現在のプリンセスカットにはカラットサイズや原石の目に沿って設けられた2~4段のシェブロンファセットが存在します。イツコウィッツのクァドリリオンカットではそれらのシェブロンファセットの設定が在りませんでしたので、この時市場に出回った多くの四角のダイヤモンドはイツコウィッツのクァドリリオンカットとは若干異なる形だったのです。
人々はこの時、名不明のこのダイヤモンドに”プリンセス”という名前を与えました。シンチレーションとファイヤーに優れたクァドリリオンカット(プリンセスカット)の持つ”凛”とした輝きはプリンセスの様な気品を持ったカットだと多くの人の共感を呼び、クァドリリオンカット、別名プリンセスカットは瞬く間に市場に浸透していきます。
そして1979年イツコウィッツはクァドリリオンカットの進化版として正式にプリンセスカットを発表します。それが現在のプリンセスカットなのです。
しかし、ラウンドブリリアントに負けない輝きを求めて開発されたプリンセスカットですが、歩留まり優先で厚いクラウン設計の”歩留まり優先”の輝かないダイヤモンドが市場に数多く出荷されています。今回のトリプルエクセレントの試みによって、厚いカットや平坦なカット等ど一線を画すプリンセスカットの本来の美しさをお楽しみいただけると言うものなのです。
他では見ることの出来ない世界初のトリプルエクセレントのプリンセスカット、ブリッジ銀座アントワープブリリアントギャラリーでぜひその輝きを御確認下さいね!