銀座の結婚指輪BRIDGEのブログ

皆さんこんにちは!BRIDGE銀座アントワープブリリアントギャラリーです。

今日は5月の誕生石【エメラルド】についてです。エメラルド言わずと知れた緑色の宝石です。緑は色の三要素の一つでもあるために古来より珍重されていました。ダイヤモンドが本格的に加工されるようになる1400年代以前はダイヤモンドの産出量の圧倒的少なさも手伝って宝石として最も価値の高い宝石はルビー、サファイヤ、エメラルド、真珠でした。

これは加工出来たか出来ないか?も要因していたかもしれませんね、ルビーは赤、サファイヤはブルー、エメラルドはグリーンでこの3っつの宝石の輝きを合わせるとダイヤモンドの色に成る事からダイヤモンドが宝石の王なんて呼ばれたりします。

レーザーソーイングBRIDGE

↑エメラルドの画像ぜんぜん持っていないので【エメラルドグリーン】の光が綺麗なダイヤモンドのレーザーソーイングの写真です。

エメラルドと言えば所縁の深い人物としてエジプトの【クレオパトラ7世(最後のファラオ)】が思い浮かびます。絶世の美女とされるクレオパトラは真珠とエメラルドを愛した女性ですが、古代エジプトではエメラルドの鉱山を所有してエメラルド採掘を行っていました。これは古代エジプトの人々が【サソリは緑色の火を恐れる】と信じていた事からエメラルドがそのお守りとされたことにちなんでいるようです。サソリは【さそり座】が有るので分かる通り、人々にとって脅威であり、無視できない生き物だったと考えられます。また当時はエメラルドとペリドットの区別が正確には付いておらず、ペリドットも屡々エメラルドとして紹介されたり取り扱われたりしています。

完全に関係無いのですがクレオパトラ7世はローマのマルクス・アントニウスとの酒宴で忠誠の誓いとして大きな真珠のイヤリングを酢に溶かして飲みほしたという逸話がプリニウスの著書で残っていますが、この時の酒宴でも金とエメラルドはふんだんに使われていたとされています。着飾ったクレオパトラのアイシャドウはエメラルドの粉であったと言われています。クレオパトラがこの時盃に溶かした真珠のイヤリングは約10,000セステルチア(約2,600万円)で、この真珠を溶かして飲みほしてしまう事で【一晩で10,000セステルチアの宴を開く事が出来るか?】という賭けに勝ったと言われています。

この話には異論を唱える宝石屋が多く居ます。それは真珠はそんなに簡単に酢に溶けない!という事です。アントニウスとクレオパトラの酒宴で真珠を酢に溶かしたことを書いたプリニウス(博物誌などを書いたローマの将軍で科学者)は多くの薬も作っています。その中で真珠を原材料にする場合は必ず砕いて粉にしてそれを酢に溶かしています。これは有機質とはいえ宝石である真珠が簡単に他の物質に分解されたり、変質してしまわないからです。確かに真珠の一番外側の層はエナメル質なので酢に簡単に侵されたりしません、この時クレオパトラの身に着けていた真珠は当時としては世界最高品質であり、宝石を愛していたクレオパトラは飲む事が出来る濃度の酢に真珠を入れ溶ける前に飲み干した(丸呑み)して後日体内から取り出したのでは?とする説が有力です。他に諸説あります。

クレオパトラで今日は脱線しましたが、エジプトでどうしてエメラルドがそんなに珍重されていたのか?そもそも緑色の火がサソリに効くと考えられていたのか?と言うと、現在のイラクの有る場所に有った【バビロニア】では紀元前4000年にはエメラルドを取引していたという文献が残っています。この時代にすでにエメラルドは宝石として流通していたのです。バビロニアではエメラルドの他にラピスラズリやアメシスト、ペリドットなども取引されていました。これはエジプトで採掘されていたと考えられています。エメラルドの緑色はサソリ除けや魔よけの他にも心身の安定や健康を助けると考えられており古くから珍重されていたのです。呪術医学説という宝石を何故人類が身に着け始めたのか?を説明する説があり古代文明ではエメラルドは特に珍重された居たのです。

※エメラルドは砕くと白い粉に成ってしまいます。クレオパトラがエメラルドをアイシャドウにしていたという逸話は実はラピスラズリだったのではないか?と言われています。

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