銀座の結婚指輪BRIDGEのブログ

アフリカのナポレオン

皆さんこんにちは!ブリッジ銀座アントワープブリリアントギャラリーです。今日はダイヤモンドの中央販売機構を作り上げたセシル・ジョン・ローズ(Cecil John Rhodes、1853年7月5日 – 1902年3月26日)について書いてみます。1880年代の混沌の南アフリカでのし上がった剛腕伝説です。

始めにローズはイギリス帝国の植民地政治家で、南アフリカの鉱物採掘で巨富を得て植民地首相となった初代デビアスの総帥。今日のダイヤモンド業界を作ったと言っても過言ではない。帝国主義者で人種差別主義者でもあり過激な思想の持ち主で有ったため彼に対して批判的な文献も多数残っています。また出身大学のオックスフォードにも基金を残しているのですが、人種差別主義者だったことで現在、その銅像は撤去されています。

1853年イギリスのハートフォードシャーの牧師の子として生まれる。肺の病で病弱だったセシル・ローズですが、17歳の時に兄弟たちが一獲千金を夢見てアフリカへ向かったのを見て自分もと思い立ちアフリカへ出発します。1870年南アフリカのターバンに上陸しますが迎えに来ている筈の兄たちは居ませんでした。兄弟たちは遥かアフリカの内陸でダイヤモンド鉱山を当てるために鉱区内に入っていたのです。

行先の判らないローズは迎えを待って1年が過ぎたころ、兄たちから手紙が届きます。そこにはダイヤモンドで1山当てる夢が書かれており、それを見てロースは決心してデビアス鉱区の1区画を借りて採掘権を取得して自身もダイヤモンドの採掘に乗り出します。しかし、持病の肺と心臓の病気が再発したために、1年で採掘をあきらめさらにヨーロッパ人の居ない北部委の土地へ避難して養生に努めます。

イギリス人だったロースはアフリカの広大な空白地帯を見て大英帝国(イギリス)が当時掲げていた支配地域の拡大を思ったと言われています。自身で採掘する事が健康上の理由で困難だと判断したローズはダイヤモンドの原鉱石を洗浄する水をくみ上げるポンプの貸し出しビジネスをはじめます。これは一定の収益を上げたものの、地下資源採掘や会社経営ノウハウを学び直す必要性を感じてオックスフォードへ戻り大学へ進学します。ポンプのビジネスは南アフリカで知り合ったビジネスパートナーのチャールズ・ラットという人物に任せて収益を上げ続けていました。

1881年にオックスフォードを卒業すると南アフリカへ戻り本格的にダイヤモンドビジネスでの成功を目指して事業を開始します。ローズにとってチャンスだったのはこの頃、安易に地下資源採掘で一山当てようとした人々が技術的な問題に直面し、多くの技術者や採掘業者が廃業し始めたタイミングだった事でした。ロースはそれまでにポンプの貸し出し事業の収益をすべて使って鉱区を買い取り、次々買い増ししてデビアスダイヤモンド鉱山会社を設立します。

この動きに拍車をかけていたのはアフリカで次々見つかるダイヤモンドの鉱脈に対して世界の需要がそこまで追いついていない事でした。ダイヤモンドの価格が下落する事で鉱山事業が成り行かなくなっていたのです。このように大規模な鉱脈発見は業界にとっても諸刃の剣だったのですが、地層学の発達と共に一時鉱床が次々発見されて行く時代でもありました。こうして、どんどん廃業する鉱山を買い上げるローズの動きは完全に時代に逆行していました。ローズはこの状況を鑑みてダイヤモンドの各鉱山企業が一体となって生産量をコントロールする必要が有ると直感していました。ローズだけでなく多くの事業者にとって鉱山採掘の技術向上に伴ってダイヤモンドの採掘量が上がってくることは容易に想像できていたのです。

ローズの考えは多くの事業者に受け入れられていき、ダイヤモンドの中央販売体制に理解し協力する事業者が多くあらわれたのです。

オックスフォードで大資本企業の運営方法を本格的に学んでいたローズは南アフリカで添いの手腕を発揮し始めるのです。当時南アフリカにはローズと同じような手腕を発揮する起業家がもう一人いました。金融業者のバーニー・バーナドでした。デビアス鉱区を運営するローズに対してバーナドはキンバリー鉱区を束ねていました。

ローズはイギリスのロスチャイルドの支援を得てバーナドからキンバリー鉱区の買収に成功し南アフリカのダイヤモンド生産を1本にまとめる事に成功したのです。

※ボーア戦争などの難しい時代背景が有るのですが、そこは割愛させていただきます。

経済力を手にいれたローズは1880年に南アフリカ、ケープ植民地議会の議員となり、1884年にはケープ植民地政府の財務相、90年には遂にケープ植民地政府の首相にまで上り詰めます。これによりイギリス南アフリカ会社を設立。警察権、統治権を持ち軍隊迄保有していたのです。ローズにはイギリス統治による南アフリカ連邦設立の野望が有ったと言われています。

こうした買収を皮切りにローズは1890年にはウェッセルトン鉱山の支配権を、続けてイエーガスフォンテーン鉱山の株を買収、デュットイッパン、ブルトフォンテーン鉱山の支配権も取得。さらに漂砂鉱床専門のクリカランド・ウエストの株を買収し19世紀の終わりには実質的にダイヤモンドの鉱脈を独占。世界のダイヤモンド生産の90%までを支配する立場に成長させていったのです。

ローズはデビアスによるダイヤモンドの採掘で得た資金力を背景に在オランダ人の子孫たちで形成されるトランスバール共和国の支援も受けるて金採掘にも乗り出し、世界最大の世界最大の産金王にのし上がるとともに、南アフリカの鉄道インフラや・電信・新聞等のメディアインフラも手に入れ支配下に置いたのです。

ローズはまさに南アフリカの政治・経済の実権を一手に握り、その威風は帝王を思わせ「アフリカのナポレオン」と呼ばれるまでになったのです。著書の中で彼は「神は世界地図が、より多くイギリス領に塗られる事を望んでおられる。できることなら私は、夜空に浮かぶ星さえも併合したい」と語っています。

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