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皆さんこんにちは!ブリッジ銀座アントワープブリリアントギャラリーです。今日は1919年にダイヤモンドの研磨角度を光学理論を用いて体系化した偉大な数学者”マルセル・トルコフスキー氏”を少し書いてみます。

マルセルBRIDGE銀座アントワープブリリアントギャラリー

マルセル・トルコフスキー氏がダイヤモンドデザインを発表した1919年世界は第一次世界大戦終戦後の混沌で、これから平和に向かていくんだという希望の有る状況でした。一方ダイヤモンドの産地であるアフリカではボーア戦争を経てデビアスによってダイヤモンド供給過剰問題がキチンとコントロールされダイヤモンドの価格は暴落せずに安定を保っていました。

また1850年頃から開発された蒸気機関から更に電機が開発され、ダイヤモンドを仕上げる機械の動力も劇的に改善されました。他業種における世界では工場が作られて、それ迄職人が一人で全工程を行っていたような作業を分解し、多くの人員で大量に生産する事が可能になった時代でもありました。

さらに1880年ごろ、アフリカからダイヤモンドが安定供給されるまでは遊井氏以来世界中で採掘されたダイヤモンドの全量は10万カラットでした。それが1919の段階では南アフリカに5つあるダイヤモンド鉱山の1つ当たりの年間の採掘量は200万カラットとなり、ダイヤモンドは市場に爆発的に供給され始めた時代だったのです。

1900年頃迄はダイヤモンドの加工で先行していたはずのイギリスやベルギー、オランダはアメリカのヘンリーDモースが開発したリカットと言う考え方に反発し、ダイヤモンドにとって最も重要なのはカラットである。と言う考えを変えていませんでした。モースはドイツの光学博士”カール・ツァイス”の理論を用いてダイヤモンドの輝きを重視した独自のフォルム開発をしていました。モースのダイヤモンドは脚光を浴びていましたが、有史以来10万カラットしか算出していない貴重なダイヤモンドを割って小さく加工する行為に対しては懐疑的だったのです。その為、左右対称で輝き重視のモースのダイヤモンドと原石の形を活かしてカットするヨーロッパースタイルのダブルスタンダードと言う状態でしたが、ダイヤモンドの供給再開と供給量の膨大さが原石をなるべく大きく残すヨーロッパスタイルを衰退させていくことに成るのです。

アフリカでの鉱脈発見でダイヤモンドは供給停止から回復して安定的に、しかも今までよりも多くの量が市場に供給され始めます。イギリスとベルギー、オランダのダイヤモンド業界は絶対的に貴重な事は変わらないモノの原石供給が安定的に行われることを確認するとダイヤモンドの輝きを重視したヘンリーDモースの理論を踏襲するようになってきます。しかし当のモースは1888年に自宅の火事で死亡してしまい、ダイヤモンド研磨のノウハウはモースの残したダイヤモンドだけとなっていたのです。

※ここで一点ダイヤモンドを仕上げる職業を唄の業界に当てはめて紹介します。ダイヤモンドを設計デザインする人(ダイヤモンドデザイナー)は例えるなら作曲家です。そして実際にダイヤモンドをカットして研磨仕上げする職人は歌手のような立ち位置です。当たり前ですが両者はお互いの作業領域の事は少し理解していますし、行う事も出来るのです。しかし本当に専門的な部分は専業が行うのが通常です。一部シンガーソングライターとして成功する人もいます。1900年以前はシンガーソングライターしかおらず、専門的な作曲家と歌手の様な分業は取っていませんでした。

シンガーソングライター的な活動をしていたヘンリーDモース氏は独身で後継者がいなかったのです。そこでヨーロッパのダイヤモンド業界ではダイヤモンドの光学理論を用いた設計図が待望されていました。そのため実家がダイヤモンドビジネスを行う名家で数学者だった”マルセル・トルコフスキー氏”はダイヤモンドデザインを発表、以降世界中のダイヤモンド加工の現場でマルセル・トルコフスキー氏のダイヤモンドデザインを導入して加工するようになります。このマルセルトルコフスキー氏のダイヤモンドは”アイディアル・カット”と呼ばれ誕生から70年間、ダイヤモンドの理想的なフォルムとして認知されGIA等でも教科書として使用していたほどでした。

マルセル・トルコフスキー氏のダイヤモンド研磨理論を実践したダイヤモンドカッターと言えば”ラザール・キャプラン氏”です。カットの魔術師と言われた天才的なダイヤモンド・グリーパーでした。ラザール・キャプラン氏はマルセルトルコフスキー氏のダイヤモンド理論で特にオーバルカットのダイヤモンドで大きな名声を得、かれのダイヤモンドは”オーバルエレガンス”と呼ばれました。

マルセル・トルコフスキー氏のダイヤモンドデザインは画期的でした。それは、それまで親方だけが自分の頭の中で理解しているノウハウを書面化した事です。ヘンリーDモース氏はカール・ツァイス氏の理論を使ったダイヤモンド設計図を残していませんでした。その為、モースのダイヤモンド理論が世界に広まることは無かったのです。

70年ほどダイヤモンドの理想的なフォルムと言われたマルセル・トルコフスキー氏の”アイディアルカット”ダイヤモンドですが、入射角にってはダイヤモンド内部の光の動きが不完全である事が判明します。それまで多くのダイヤモンドカッターがアイディアルカットを実践してもカットグレードにおける最高評価を得る事は在りませんでした。それは鑑定鑑別機関ではアイディアルカットが光学理論上最高ではない事が事前に判っていたからなのです。そこでGIAでは1980年にマルセル・トルコフスキー氏のダイヤモンド設計図”アイディアルカット”を教科書から外し、8年の歳月をかけてダイヤモンドの理想的なフォルム”エクセレントExcellent”を開発したのです。またサブ項目をいくつか新設し、ダイヤモンドの輝きにかかわる項目としてカットに追加しました。グレーディングレポートにも記載されるポリッシュとシンメトリーはその項目です。

1988年こうしてマルセル・トルコフスキー氏のダイヤモンドデザインの不完全部分を踏まえてアイディアルを超える基準としてエクセレントが作られたのです。さらに2007年にはダイヤモンドの評価基準が3Cから4Cに改変されダイヤモンドのフォルムはその品質に影響を及ぼすほどとなったのです。2020年現在ダイヤモンドのカットグレードはラウンドブリリアントとプリンセスカットに導入されています。またその他の形のダイヤモンドはカットの総合評価は無い物のシンメトリーとポリッシュは項目として追加されています。

GIAではラウンドブリリアントカットの発祥となったマザランカットやオールドヨーロピアンカット等のアンティークカット等について現行のカットグレードで評価した場合にどうしてもフェア評価やプア評価となってしまう事に言及、そのダイヤモンドが開発された時代背景を鑑みてダイヤモンドのカットグレードを評価する事としています。その為、アンティークブリリアントは最低でもグッドとする事等が新たに決められています。

時代背景を考えると1930年頃のアイディアルカットは史上最高の輝きであったことは疑いの余地は無いのです。

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