怪しい空模様
伊香保温泉のホテルに到着すると、まず大也は駐車場に車を停めた。エンジンを切ると、ふと空を見上げる。さっきまで晴れていたはずの空は、いつの間にか分厚い雲に覆われていた。
「……ん?なんか雲行き怪しくないか?」
瑞樹も助手席でスマホを取り出し、天気予報を確認する。
「降水確率30%みたい。でも、どうかな……」
「まあ、大丈夫だろ。俺、晴れ男だから。」
大也は軽く笑いながらドアを開けた。だが、その楽観的な気持ちとは裏腹に、心のどこかで不安がよぎる。雨が降ったらどうする?予定していた石段街の散策は?それに夜のプロポーズ……。
「考えすぎんな。なんとかなる。」
自分自身に言い聞かせるように、そう呟いた。
チェックインを済ませ、部屋へ向かうエレベーターの中、大也はふと”あの時”のことを思い出していた。
美しい指輪の付け方講座
ブリッジ銀座の店内。古田あやかの前で、彼はプロポーズのシミュレーションをしていた。
「いい?プロポーズの指輪の渡し方にはちゃんと美しく見せるコツがあるの。」
古田はそう言うと、手慣れた動作でリングケースを開いた。そこには、美しいダイヤモンドリングが輝いていた。
「まず、片膝をつく。そして、リングの入った箱を開いてプロポーズの言葉を伝える。」
「……その後は?」
「相手が了承したら、スムーズに指輪をはめるの。左手の薬指よ。」
古田は大也の手を取り、実際に動きを見せながら説明を続けた。
「箱から取り出したリングの外径を、左手の親指・人差し指・中指で支えるように持つ。そして右手で相手の左手を添えるように持ち上げる。」
大也は何度もイメージしながら、その手の動きをなぞった。
「薬指にそのままリングを第二関節まで押し込むように装着させる。そこから左手を薬指の指先に持ち替えて、右手でリングを下から支えるように薬指の奥まで押し込んで装着する。」
「ふむ……こう、か?」
「そう。美しく、スムーズにね。」
あの日、店内で何度もシミュレーションした動作。大也の頭の中では、完璧な流れができあがっている。
「……よし、これなら大丈夫なはずだ。」
そんな回想を繰り返しながら、エレベーターが目的の階に到着した。
部屋に入ると、和の趣が感じられる落ち着いた空間が広がっていた。
瑞樹はスーツケースを置き、靴を脱いでふわりと畳の上に足を下ろす。
「わあ、素敵な部屋……」
「うん、風情があっていいな。」
大也も部屋の中を見渡しながら、窓際へと向かう。そしてカーテンを開けると、目の前に広がるのは美しい大自然。木々が風に揺れ、遠くには伊香保の街並みが見える。
「やっぱり温泉旅館はいいよな。」
「うん……でも、大也。」
「ん?」
瑞樹が指をさす。その先を見ると、ガラス越しにぽつぽつと雨粒が落ちているのがわかった。
「……え?」
さっきまでなんとか持ちこたえていた天気が、ついに崩れ始めたのだ。
大也は眉をひそめ、もう一度スマホで天気予報をチェックする。
「……降水確率、30%だったのにな。」
「大也、晴れ男って言ってなかった?」
瑞樹がくすっと笑う。大也は肩をすくめながら苦笑した。
「まあ……たまにはこういうこともあるさ。」
本当は「たまに」なんかじゃなく、今夜だけは絶対に降ってほしくなかった。
夜の石段街散策。そして伊香保神社でのプロポーズ。
大也は内心、天気を気にしながらも、瑞樹の前では努めて平静を装った。
「とりあえず、部屋で少し休んだら、予定通り散策に行くか。」
「うん。温泉街を歩くの、楽しみ。」
瑞樹は小さく微笑みながら頷いた。
雨の気配を感じながらも、まだ日は暮れていない。
大也は改めて心を落ち着かせ、これから始まる大事な一日を、どう進めていくかを考え直していた。
登場人物:大越大也(おおこしだいや)埼玉県大宮市出身の30歳、趣味はドライブと釣り、行動力が有り何事もまずはやってみるタイプ。
松本瑞樹(まつもとみずき)神奈川県出身29歳、高校時代は名門野球部のマネージャーだったお姫様キャラ。慎重派でよく考えてから行動するタイプ。
瑞樹の友人の茜(あかね)29歳、瑞樹とは高校時代からの地元の友人で気心が知れている。大也とも面識が有り
茜の友人古田あやか(ふるたあやか)茜の大学時代の友人、ブリッジ銀座のスタッフでJJA公認ジュエリーコーディネーター年間100組以上のサプライズプロポーズをプロデュースしている。
山本健司(やまもとけんじ)大也の会社で同期の同僚、同期の中でいち早く結婚に踏み切った。お相手は高校時代からの彼女。
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