第24話「初めてのご挨拶(瑞樹の両親編)」
春の気配が少しずつ色づき始めた、ある日曜日の午後——
大也はスーツの襟元を何度も直していた。
「緊張しすぎ……ネクタイ、ずれてるよ」
そう言って瑞樹が直してくれる手元に、どこか安心を感じながらも、鼓動は速まるばかりだった。
プロポーズからちょうど一か月。
今日、大也は人生で初めて“彼女の両親に結婚のご挨拶”をする。
しかも相手は、自分が本気で人生をともにしたいと願った、瑞樹の両親だ。
数日前——
「手土産って、やっぱり和菓子の方がいいかな?」 「靴下は黒?それともダークグレー?」 「座布団って勝手に座っていいの?」
職場の既婚者・山本を質問攻めにしながら、大也は手帳にメモをとりまくっていた。
大也はさらに銀座のブリッジにも足を運んでいた。
「あやかさん、助けてください!ついに…ご両親へのご挨拶の日が来るんです…!」
事情を聞いた古田あやかは、「ついに来ましたね!」と微笑むと、まるで自分の弟を送り出すかのように、親身にアドバイスしてくれた。
「服装は、派手すぎず清潔感のあるスーツでOK。で、最初の言葉はね、“本日はお時間いただきありがとうございます”って、ちゃんと一礼してから伝えると印象がいいですよ」
アドバイスをひとつひとつ真面目に受け止め、完璧に準備したつもりだった。
しかし——
そして、当日——。
瑞樹の実家は横浜の丘の上にある静かな住宅地。
ピンポーンというチャイムの音に、大也の手は汗ばむ。
瑞樹の実家の玄関先。ドアが開いた瞬間、大也は緊張で頭が真っ白になった。
「こんにちは。大越大也と申します。本日はお時間いただき、誠にありがとうございます……」
迎えてくれたのは、瑞樹の父・正彦さんと、母・千景さん。
母は穏やかな笑顔を浮かべていたが、父の表情はやや硬い。
(あれ……? もっと柔らかい感じの人だって聞いてたけど……)
最初の一歩で想定外に緊張し、大也は頭の中にあった言葉をすっかり忘れてしまった。
手土産を渡す時も、所作がぎこちない。
「これ、つまらないものですが……」
「……あ、ありがとうございます」
父の声は低く、口数も少ない。
リビングでの会話も、はじめは硬さが残ったままだった。
食卓を囲み、緊張の中での歓談が始まった。
「大也さんは……おいくつでしたっけ」 「ご実家は埼玉の……?」 「仕事は……お忙しい?」
「ご職業は……?」矢継ぎ早に質問が飛んできて、まるで面接のようだ。
「はい、建設メーカーで都市開発の設計を——」
言いかけたところで、用意してきた言葉が、すっぽり頭から抜け落ちた。
——しまった。やばい。なんて言おうとしたんだっけ?
顔が少し引きつるのを感じながらも、大也は覚悟を決めた。
「……僕は、瑞樹さんと、結婚をさせていただきたいと思っております」
「正直、今日この場に来るまで、緊張で何度も言葉を忘れました。
でも、僕の想いだけははっきりしています。
瑞樹さんは、僕の人生にとってかけがえのない存在です。
まだまだ未熟ですが、彼女を支えていけるよう、精一杯努力します。
どうか、結婚をお許しいただけないでしょうか」
練習した台本も、敬語も完璧ではなかった。
けれど、その声は震えていても真っ直ぐで、心からの想いがこもっていた。
沈黙が流れる——
時計の針がやけに大きな音を立てていた。
正彦は静かにお茶を口にし、それから少しだけ表情を崩した。
「……真面目な青年だな」
そして、ぽつりと言った。
「……娘はな、真面目で、ちょっと頑固なところもあるが、人のことをよく見てる子だ」
そして、大也をまっすぐに見つめて言った。
「……そんな娘が選んだ相手だ。きっと、信じてもいいんだろう」
「……はい!」
「娘を、頼んだぞ」
その瞬間、大也の目の奥が熱くなる。
隣で瑞樹がそっと微笑んだ。
その後、食事の席では、瑞樹の子ども時代の話に花が咲いた。
「小さい頃はね、人見知りが激しくて、幼稚園の入園式でもずっと私の後ろに隠れてたんですよ」
「でも、変なところで頑固でね。お兄ちゃんとお菓子を取り合って大ゲンカしたこともあったのよ」
そんな両親の語るひとつひとつのエピソードに、瑞樹がどれだけ大切に育てられてきたのかが伝わってくる。
そして同時に、大也は自分がそのバトンを受け取るのだという重みを、肌で感じていた。
(俺は……この人を、大切にし続けなきゃいけない)
そんな大也のまなざしに気づいたのか、千景の目に光るものが浮かんだ。
「……こんな日が来るなんてね」
母のつぶやきに、瑞樹もまた涙をこらえながら頷いた。
帰り道。瑞樹がぽつりと言った。
「ありがとう。……なんか、私が惚れ直したかも」
大也はふと、瑞樹の手を強く握った。
「……マジで? 俺、汗でスーツしわっしわなんだけど(笑)」
二人は目を合わせて笑い合った。
「ありがとう、瑞樹。俺、もっと頑張るよ。絶対に幸せにするから」
「うん、知ってる」
そのひと言に、すべてが報われた気がした。
この日、大也はまたひとつ、大人の階段を上がったのだった。
登場人物:大越大也(おおこしだいや)埼玉県大宮市出身の30歳、趣味はドライブと釣り、行動力が有り何事もまずはやってみるタイプ。
松本瑞樹(まつもとみずき)神奈川県出身29歳、高校時代は名門野球部のマネージャーだったお姫様キャラ。慎重派でよく考えてから行動するタイプ。
瑞樹の友人の茜(あかね)29歳、瑞樹とは高校時代からの地元の友人で気心が知れている。大也とも面識が有り
茜の友人古田あやか(ふるたあやか)茜の大学時代の友人、ブリッジ銀座のスタッフでJJA公認ジュエリーコーディネーター年間100組以上のサプライズプロポーズをプロデュースしている。
山本健司(やまもとけんじ)大也の会社で同期の同僚、同期の中でいち早く結婚に踏み切った。お相手は高校時代からの彼女。
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