第28話「結婚準備は○○の縮図」
「えっ、もうこんな時間!?」
瑞樹がカフェの時計を見上げて声をあげたのは、打ち合わせの帰り道に寄った表参道のカフェだった。大也は口にしていたストロベリーミルクを吹き出しそうになりながら笑う。
「だから言ったじゃん、プランナーさんとの話は長引くって。あれ全部聞いてたら、そりゃ時間かかるよ」
「だって、一生に一度のことだよ? 後悔したくないじゃない」
瑞樹は、目をキラキラとさせながらもどこか必死な表情を浮かべていた。
結婚式――それは少女時代からの憧れであり、誰にとっても夢の舞台だ。だけど、夢の実現には思った以上の準備と労力が必要だった。式場選び、招待客リストの調整、ドレス試着、ウェディングケーキの打ち合わせに演出の演出のまた演出……。
最初は「まあ、楽勝っしょ」と気軽に考えていた大也も、次第にその大変さを実感し始めていた。
「ドレス、そんなに種類あると思わなかったよ。白だけでも20着って何!?」
「でもそれぞれ微妙に違うんだってば!レースの入り方とか、背中の開き具合とか」
「正直、俺にはどれも天使にしか見えんよ。っていうか、天使が多すぎてもう頭回らない」
「……うまいこと言ってごまかそうとしてるでしょ」
瑞樹がムッとした顔で睨む。大也は慌てて「いやいや、褒めてるって!」と手を振った。
ふたりの新居である大森のマンションに帰り着くころには、どっと疲れが押し寄せた。だが、それでも夜になると、瑞樹はノートパソコンを開きながら言う。
「ねえ、このムービー演出、どう思う?」
「え? もう寝ようよ……」
「5分だけ!……ね?」
そんな瑞樹の“ね?”攻撃に、大也は勝てるはずもなかった。
「やっぱり、海が見える式場って憧れない?」
瑞樹はパンフレットを広げながら、キラキラとした目で大也の隣に座った。
「んー……悪くないけど、天気に左右されるって考えるとちょっと心配じゃない?」
大也はそう言いながらも、瑞樹の横顔を見て、どこか嬉しそうに笑っている。
結婚式の準備が本格的に始まっていた。
プロポーズが終わり、両家の顔合わせ、新居探し、指輪の決定と、大きな節目をいくつも乗り越えてきたふたり。けれど、それらはすべて“序章”に過ぎなかったのだと、今ではわかる。
本番は、ここからだった。
式場選びに始まり、ドレスの試着、ゲストリストの作成、引き出物の選定、音楽、演出、映像演出……決めること、やること、考えること、確認することが、山のようにある。しかも、どれも「一生に一度」のものばかり。
適当に済ませるわけにはいかない。
だけど、ふたりともフルタイムで働いている。時間は限られている。
それでも、週末のたびに予定を詰め込んで、気づけばどちらかがスケジュール帳とにらめっこしていた。
「ねぇ、この日、ドレスの最終フィッティング入れられそう?」
「えーっと……その日はたしか、式場の装花打ち合わせがあるんじゃなかったっけ?」
「うそ、かぶってる? やばいじゃん」
「まって、俺、午後なら行けるかも。でもそのあとは引き出物のカタログ見に行く約束してるし……」
「うぅ……タイムスケジュール表、作りたい」
「ほんと、マネージャーが欲しいよな、俺らの」
そんな日々を過ごしながらも、不思議とふたりは充実していた。
むしろ、人生の中で一番「ふたりで何かを成し遂げようとしている」と感じられる時間だった。
ある週末、瑞樹はウェディングドレスの試着に挑んでいた。
試着室の白いカーテンの向こうから現れたその姿に、大也は言葉を失った。
「……どう?」
恥ずかしそうに頬を染めながら、瑞樹が尋ねる。
「……いや、もう……反則だろ」
大也は照れ隠しに頭をかいて、それでも目は逸らせなかった。
ふだんは仕事帰りにコンビニでご飯を買って帰る、そんな現実的なふたりが、今日はまるで映画の中にいるようだった。
「これが……結婚式なんだね」
試着室の大きな鏡を見ながら、瑞樹がぽつりとつぶやく。
「うん。現実なんだな、俺たちが夫婦になるってこと」
その一言に、瑞樹の目が少し潤んだ。
とはいえ、準備が順風満帆だったわけではない。
ある晩、招待客リストのことでふたりは衝突した。
「え、職場の後輩、全員呼ぶの? 多すぎない?」
「え、でも仲いいし、呼ばないと後で気まずいじゃん」
「じゃあこっちの親戚削らなきゃだけど、それってどうなの……?」
小さなことが火種になる。
お互い疲れていたのもあり、声のトーンが少しだけ尖ってしまう。
「……じゃあ、もう、瑞樹が全部決めてよ」
「それって丸投げってこと? 私ばっかり気を使ってるのに……」
「……はぁ」
沈黙が流れた。
だけどその夜、ふたりは少し離れたソファに座りながら、自然と目を合わせた。
「……ごめん。俺、ちょっと疲れててさ」
「ううん、私も言いすぎた。大也はちゃんと協力してくれてるのに」
どちらからともなく手を伸ばし、手を重ねた。
「これも、いい思い出だよね」
「だな。たぶん、ずっと忘れない」
式の準備が佳境に入ったある日、瑞樹が言った。
「茜にさ、司会お願いしてみようかなって思うんだ」
「え、茜? あいつ、司会できんの?」
「うん。だって、プレゼン上手いし、アドリブ効くし……私たちのこと一番知ってるじゃん」
「……それは、たしかに最強だな」
茜に連絡すると、「え! あたしが!? マジで!? 嬉しいんだけどぉ〜〜!」と電話越しでも飛び跳ねる様子が想像できるほどの大興奮だった。
「じゃあ、MCだけじゃなくて構成も考えさせて! 二人の馴れ初めも愛を込めて語っちゃう!」
「やりすぎ注意ね……?」
「安心して! 私、空気読む女だから!」
こうして、ふたりの結婚式はどんどん“らしさ”に満ちたものになっていく。
準備は戦いだった。
だけど、戦いの相手は互いではなく、ふたりが築く未来への試練だったのかもしれない。
ある夜、湯船に浸かりながら、瑞樹がぽつりと呟いた。結婚式を迎えるまで、あと二ヶ月。毎週末は式場やドレスショップ、映像会社、ペーパーアイテムの打ち合わせで埋まり、平日も夜な夜なアイデア出しやスケジュール調整が続いていた。
「まぁ、確かにね。でも、こういうのって、ある意味で“結婚生活の予行演習”なんじゃないかな」
大也は隣で肩まで湯に沈めながら、ぽつりと言った。
「予行演習?」
「そう。思ったことをちゃんと伝えて、話し合って、ぶつかったらちゃんと謝って、また歩き出す。たぶん結婚って、その繰り返しなんだと思う」
瑞樹は少し間を置いてから、ふふっと笑った。
「……なんか、大也にしては珍しく、いいこと言うね」
「失礼だな!」
そして二人は、風呂上がりのアイスを半分こしながら「疲れたね」「でも楽しいね」と笑い合った。
登場人物
大越大也(おおこしだいや):埼玉県大宮市出身の30歳、趣味はドライブと釣り、行動力が有り何事もまずはやってみるタイプ。先日多数の友人の助けを借りてプロポーズを成功させ新しい人生の岐路に立っている。
松本瑞樹(まつもとみずき):神奈川県出身29歳、高校時代は名門野球部のマネージャーだったお姫様キャラ。慎重派でよく考えてから行動するタイプ。先日大也からのプロポーズを受けて晴れて婚約者になった。
瑞樹の友人の茜(あかね):29歳、瑞樹とは高校時代からの地元の友人で気心が知れている。大也とも面識が有りる二人の応援団。
茜の友人古田あやか(ふるたあやか):茜の大学時代の友人、ブリッジ銀座のスタッフでJJA公認ジュエリーコーディネーター年間100組以上のサプライズプロポーズをプロデュースしている世話好きなキャリアウーマン。
山本健司(やまもとけんじ):大也の会社で同期の同僚、同期の中でいち早く結婚に踏み切った結婚に関する先輩。お相手は高校時代からの彼女。
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