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ダイヤモンドは重さよりも美しさ?

皆さんこんにちは!ブリッジ銀座アントワープブリリアントギャラリーです。今日はラウンドブリリアントカットの最高グレード、エクセレント開発に携わり、現在の最高グレード達成に欠かせない活躍をした3人を紹介します。

1870年ヘンリーDモース

ヘンリー D モース(Henry D Morse)

まず最初はアメリカ・ボストンのダイヤモンド開発者、ダイヤモンド切断と58面のラウンドブリリアントカットを作り出した偉人ヘンリー・D・モース(Henry D. Morse)です。彼は歴史上初めて“beauty verses weight(美しさ対重さ)”という概念を持ち込んだ偉人です。それまでダイヤモンドは重さが重視されていました。それどころかダイヤモンドの切断業はイギリス、ベルギー、オランダの3各国が圧倒的に先行しており、モースの住み暮らすアメリカでは誰も事業として行っていませんでした。

そんな中モースはダイヤモンドの業界のそれ迄の考えを180度変えるような発想に行きつきます。手始めにモースは革新的なダイヤモンド切断機を開発します。それまで超硬素材過ぎた為にダイヤモンドは原石の形、特に輪郭部分は原石の形をそのまま引き継ぐしかありませんでした。(硬すぎて加工できなかったのです)モースは当時最先端技術だった蒸気機関動力を備えた機械を使ってダイヤモンドを加工する事を思いつきます。しかも加工する箇所はそれ迄誰も手だししていなかったダイヤモンドをフェイスアップ(真上から)で見た場合の輪郭部分ガードルの調整でした。

当時はダイヤモンドの形を変更するためにはクリーピング(叩き割る)技術が必要でした。研磨で輪郭を変更する事は出来なかったのです。しかし、僅かに対称性が崩れているからと対称にするための場所をクリーピングしようとするとダイヤモンドは思わぬ方向に砕けてしまう事が殆どだった為、輪郭の要請にクリーピングする事はタブー視されていたのです。

これによりダイヤモンドの輪郭を整える事に成功、モースの開発以前はダイヤモンドは原石の目に沿ってしか輪郭を決めれませんでした。ソーヤブル原石を頂点から見たフォルム”四角い”ダイヤモンドが最良とされていたのです。モースの開発したブルーティングマシーンでダイヤモンドは左右対称に研磨できるようになるだけでなく輪郭に曲線を持ち込むことに成功します。四角の2辺を丸く加工してマーキースカットを開発、3辺を丸く加工したペアシェイプ、4辺を加工したオーバルカット、そして真円に加工したラウンドカットと新しいダイヤモンドの形をどんどん開発していくことに成ります。

そして2020年現在も最も人気の高い正面から見て丸型で58面に研磨されたラウンドブリリアントカットを開発します。

運命を変えるカール・ツァイスとの出会い

1870年ヘンリーDモースの運命を大きく変える出来事が起こります。それはドイツのカール・フリードリヒ・ツァイス(Carl Friedrich Zeiss 1816-1888)との出会です。(ツァイスはドイツの光学機器製造業者で、現代のレンズ作製技術に大きく貢献した人物)光学機器製造を生業としていたツァイスとの共同開発でヘンリーDモースはダイヤモンドの内部で入射した光がどのような反射をして動くのか?を研究し最適なダイヤモンドの形を導き出します。現在のエクセレントカットの元となる理想的な輝きを放つダイヤモンドの誕生した瞬間でした。
1834から顕微鏡を生産していたツァイスですが1866年頃にはドイツの天文学者、数学者、物理学者、実業家でもあったエルンスト・カール・アッベの数学理論を用いて設計したガラスレンズを開発していました。ツァイスはこの後、複数の数学者や光学ガラスを主とする応用無機材料学者フリードリッヒ・オットー・ショット等と共同で様々なレンズの開発で成功していくことに成ります。そして1870年にツァイスとモースの開発したダイヤモンドの光学理論上最適なカットスタイルは”レッドリングルーペ”と呼ばれます。しかし、レッドリングルーペ理論には問題点が有りました。それは原石をおおきく削り落としてしまってカラットが小さく成る事でした。※現在のエクセレントカットも原石からの目減り率は55%で半分以上のカラットは失われてしまうのです。

それでもモースの仕上げたダイヤモンドの輝きは話題となり貴族の間で持て囃されていきます。さらにモースは世界初の”リカット業者”となりそれ迄に販売されたダイヤモンドの再研磨を始めます。ダイヤモンド加工で先行していたベルギーやオランダではカラットと輝きならば、カラットを優先する風潮が有りましたので、モースの推奨する”輝き優先”の考えは当時のベルギーやオランダのダイヤモンド業界では受け入れられないモノでした。しかし、市場はモースの理論を称賛し受け入れていくことに成ります。ダイヤモンドの所有者は手持ちのダイヤモンドを少しカラットを失ってでも最大の輝きを得るために我先にとモースに再研磨を依頼したのです。

こうしてレッドリングルーペ理論で仕上げられたモースのダイヤモンドは称賛を受け世界で受け入れられていきます。

1888年キャリアの絶頂期に合ったモースですが自宅の火事で不慮の死を遂げてしまいます。技術者としても活躍していたモースを失ったことでダイヤモンドカットアトリエは1888年に解散してしまいます。レッドリングルーペ理論を共同開発したツァイスも1888年に脳梗塞でなくなってしまうのは二人の運命のリンクを感じずにはいられません。ダイヤモンド業界は当時最高のカット・研磨技術をもった職人を失ってしまったのです。こうしてレッドリングルーペ理論は所在不明のまま理論だけがダイヤモンド業界内で生き続ける事となります。

1919年マルセル・トルコフスキー

ベルギーの数学者マルセル・トルコフスキーは、彼の著書「ダイヤモンドデザイン」に特定の角度と割合を記録しました。これはヘンリーDモースによて導き出された”レッドリングルーペ理論”が時間の経過とともに亜型が生まれ何を持って最高とするか?の基準も無かった為に、自称最高の輝きが市場に溢れすぎた事が問題となっていたためでした。トルコフスキー理論ではレッドリングルーペ理論が数値化され可視化されました。ダイヤモンドデザインはダイヤモンドのあらゆる研磨角度が明示された画期的な指標でした。トルコフスキー理論はエクセレントカットが発表される1980年頃までダイヤモンドの鑑定鑑別と今日いうを手掛ける国際的な機関GIAが宝石学の教材で「理想的なカット比率」として教えるカットグレードシステムでした。

しかしマルセル・トルコフスキーの発表したアイディアルカット理論は実現までかなりの時間を要することに成ります。それは超硬素材であるダイヤモンドは研磨可能な方向が結晶の並列方向によってきめられていたため、当時の技術では研磨不能な角度が描かれていたことが原因でした。

その後、トルコフスキー理論には不完全な部分が有る事も判明したために1988年ヘンリーDモースの死から丁度100年の節目のタイミングにGIAによって最高グレードが再考案されることに成ります。それまでダイヤモンドのカットは評価基準にはカウントされていませんでした。ダイヤモンドの評価は重さ、色、透明度の3項目のみの評価だったのです。

1990年フィリッペンス・ベルト

GIAによってエクセレントカット理論が発表されますが、トルコフスキー理論同様に実現には高いスキルが要求されることには変わり在りませんでした。GIAの発表した最高グレードカット、エクセレントは当時世界中の名うてのダイヤモンド研磨者が挑戦しますが実現させる事が出来ませんでした。

ベルギー・アントワープのダイヤモンド研磨業界は当時世界最高の技術を持つとされたアントワープの威信にかけてエクセレントカットを達際させるべくダイヤモンド研磨のTOPチームを発足させます。そのTOPチームは当時アントワープで活躍していた上位技術を持つ研磨者2,000人の中から最高の技術を持つ技術者として選抜されました。そのグループのリーダーに選出されたのがフィリッペンス・ベルト氏なのです。ベルト氏は業界の悲願だったダイヤモンドの最高グレードを1990年、ついに達成します。

 

そして現在では多くのダイヤモンド業者に浸透したハート&キューピッドを完成させるのです。

興味深い事に2005年、フィリッペンス・ベルト氏の達成した最高グレードのダイヤモンドを100年以上前にヘンリーDモースのレッドリングルーペ理論によって仕上げられたダイヤモンドと比較してみると細かな研磨角度に若干の差異が有るものの、そのフォルムはほとんど同じだったと報告されています。

ヘンリーDモース、マルセル・トルコフスキー、フィリッペンス・ベルト、3人の偉人の手でダイヤモンドの最高グレードの歴史は紡がれてきたのです。

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