銀座の結婚指輪BRIDGEのブログ

皆さんこんにちは!ブリッジ銀座アントワープブリリアントギャラリーです。今日はプロポーズするときにダイヤモンドを贈る方が一般的には多いのですが、なぜダイヤモンドが贈られているのか?を少し考えてみたいと思います。

ダイヤモンドを婚約の時に送るという習慣は古代ローマ時代中~後期には有ったそうです。古代ローマと言えば紀元前700年とかそんなくらいの昔です。紀元500年頃迄を古代ローマと呼びますので、1200年も続いた帝国なんですね。中~後期と事でプリニウスの居た紀元0年をベースに最も古いと、いまから2000年前の人類もダイヤモンドを贈っていたという事に成りますね、実際当時はダイヤモンドの産地はインドだけ、僅かに別の場所でも産出していますが、その殆どがダイヤモンドだという事に成っている宝石。現在の技術で調べると実はダイヤモンドではない!と言うことに成ってしまったリスつ宝石もその中に含まれます。

ダイヤモンドはこの世の全てで最も高価値である

文献で明確なものと言えばプリニウスの記した【博物誌】】が有名です。博物誌は自然界のすべてを網羅していたとされる人類史上最初の百科事典です。そのプリニウスも博物誌の中でダイヤモンドを語源の「adamas(アダマス)」を使って標記しています。【博物誌】では、ダイヤモンドを「透明な硬い多面結晶があり、非常に強固で切断できず、ダイヤモンドは美しい石というばかりではない。この世の全てで最も価値のあるものだ」と記しています。この世の全てで最も価値のあるもの!これはすごい事ですね、既に古代ローマ時代にプリニウスにとっても疑問なく最も価値のあるものと言わしめたその理由はいったい何だったんでしょうか?

ダイヤモンドの歴史をたどると紀元前4世紀にインドでカーストの証として取り扱いを開始したと言われています。インドではカーストの証の他に国内税や関税の対象となるなどお金や資産と密接にペッグした資産としてダイヤモンドを取り扱っていました。ダイヤモンドは王朝の財源として取り扱われていたのです。

紀元前300年頃にはダイヤモンドの輸出が開始されヨーロッパに初めてダイヤモンドがもたらされます。しかし宝石としては取り扱われていませんでした。ダイヤモンドは石などに字を書く道具として、またはとても硬いという事で他の宝石類の審議を見抜くための材料として、また宝石の多くがそうであったように難病に効く薬や、魔よけ、等として使用されていたのです。ダイヤモンドはその硬さから連想されるイメージの通りに【勇気と男らしさの象徴】とされました。その為多くの男性、特に将軍や皇帝などが好んで身に着けたのです。そしてそれは戦場では護身付としてだけでなく日常にも波及して装身具となっていきます。

これまでその希少性ゆえに特権階級の持ち物であったダイヤモンドはより権力の有る者にとっては力の象徴と成り、より大きなダイヤモンドを求めるようになっていくのです。

1880年頃迄全世界で採掘され流通したダイヤモンドの少量は10万カラットでしたので、ほんの一握りの王侯貴族でしかも実力のある力ある者しか手にする事が出来ない宝石がダイヤモンドだったのです。

1477年ダイヤモンドは宝石としてデビュー

権力の象徴だったダイヤモンドですが、護符的な装身具として身に着ける以外の用途で使用しようとする者が現れます。3代ブルゴーニュ公のシャルル突進公です。シャルルはダイヤモンドこそ権力の象徴と信じていたために、自身の治めるブルゴーニュ公国の豊富な富を使ってダイヤモンドを集めました。シャルルは当時ベルギーの石きり加工職人だったルドヴィック・ベルケムにダイヤモンドの加工を命じます。ベルケムは試行錯誤の末に鋼鉄の研磨版を使ってダイヤモンドでダイヤモンドを磨く方法を発見します。ベルケムの研磨法で磨きだされたダイヤモンドはその硬度から発揮されるまばゆい輝きで一躍宝石としても注目を集めるようになります。

豊富な資金を背景に版図の拡大を続けるブルゴーニュ公国でしたが、ある時シャルルが戦死、フランスとの約定で解体の危機に瀕します。その危機を救ったオーストリアのマクシミリアンはダイヤモンドこそ権力の象徴と信じていたシャルルの遺児マリーとの結婚でダイヤモンドを婚約の証として贈ります。こうしてシャルルの娘マリーはシャルルがこよなく愛したダイヤモンドを人類史上初めて贈られる女性となるのです。

ファーストレディとなったマリーは1900年初頭まで続く貴族文化発祥の女性と言われています。マリーのダイヤモンドは多くの女性の憧れとなり、以来、結婚の証としてダイヤモンドを贈る事が習慣として定着し始めます。しかし、ダイヤモンドは1880年頃まで産地がインドとブラジルだけだった事も有り、産出量が極端に少ない超貴重品でした。王侯貴族の間でも特別に成功を収めたもの以外手にすることは容易では無かったのです。そんなダイヤモンドを持つという事そのものも力の象徴であり、成功の象徴であったのです。

そして1890年頃からのアフリカでのダイヤモンド発見を皮切りにダイヤモンドは極端な供給不足から潤沢な供給が可能な宝石となります。これによって世界中の女性の憧れと共に普及し、現在も世の女性を虜にしているのです。

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