入学祝の時計選び
平日の仕事終わり、夜の新橋は会社員たちでごった返していた。スーツ姿の男性や、パンプスで歩く女性たちが、帰宅する人、飲みに行く人と、様々な目的で行き交っている。
「すごい人だね……」
瑞樹は大也の隣を歩きながら、人混みに少し驚いたような声を上げた。大也はそんな彼女の言葉に「まぁ、新橋だしな」と苦笑する。
二人が向かったのは、新橋のとある時計のセレクトショップ。ここは国内ブランドから舶来ブランドまで幅広く取り揃え、価格帯も手ごろなものから高級時計までそろっている。
「で、どんなのがいいんだ?」
店の入り口で大也が瑞樹に尋ねた。
「うーん……女子大生だからね。機能より、可愛さ重視じゃない?」
に入ると、落ち着いた雰囲気の店内には、国産から舶来まで多種多様な時計が並んでいた。壁一面にディスプレイされた腕時計の数々に、大也は思わず「おお」と声を漏らした。
「すごいね、ここ。ちゃんとしたセレクトショップって感じ」
「うん、こういうお店、初めて入るかも」瑞樹も店内を見回しながら答えた。
二人は、大也の従弟・真珠への入学祝いの時計を選ぶためにこの店を訪れていた。真珠は石川県で生まれ育ち、春から東京の大学に通うことになっている。まだ見ぬ大学生活に胸を膨らませているだろう彼女に、大也は「東京で頑張れよ」という気持ちを込めて、時計を贈るつもりだった。
「そういえば、真珠ちゃんってどんな子?」瑞樹が大也のスマホを覗き込む。
「えーと、これが最近の写真」
画面に映ったのは、ナチュラルメイクの清楚な女の子だった。透明感のある肌に、少しあどけなさが残る表情。それでいて凛とした雰囲気を持ち、瑞樹はすぐに「なんか、若手女優さんみたい」と思った。
「すごく可愛いね。なんだか、あのドラマに出てる池田エライザさんに似てない?」
「え、そうかな?」大也はピンときていない様子だったが、瑞樹の目には、彼女の清楚さがそのイメージと重なって見えた。
「うん、こういう雰囲気の子なら、やっぱり上品なデザインの時計が似合いそう」
そう言いながら、瑞樹はショーケースの中からいくつかの時計を見ていた。
「俺はやっぱり、実用性重視かな。スマートウォッチとか、機能が多い方がいいと思うんだよな」
「うーん、でも時計ってアクセサリーでもあるでしょ? 女の子がつけるなら、可愛さも大事じゃない?」
「可愛さか……」大也は腕を組んだ。機能性を重視する自分と、デザインを重視する瑞樹。二人の価値観の違いが、こういう場面ではっきりと出る。
「ねえ、このグッチの時計、すごく可愛くない?」
瑞樹が指差したのは、繊細な文字盤にエレガントなレザーバンドがついた時計だった。女性らしさが際立つデザインで、大也も思わず「確かにいいな」と思った。
「……って、え、15万?」
「うん。……高いね」瑞樹も苦笑する。
「さすがに予算オーバーだな」
今回、大也が考えていた予算は5万円。15万円の時計は、さすがに想定外だった。
「そっかぁ……。でも、雰囲気はこんな感じがいいな」
瑞樹は未練がましくグッチの時計を見つめながら、思い出したように言った。
「そういえば、先日会った古田さんがグッチの時計つけてたんだよね。すごく素敵だったな」
その名前に、大也は一瞬ドキリとした。
「へえ……」
無意識のうちに口を滑らせそうになった。古田あやかのことなら、つい先日ブリッジ銀座で会って、ダイヤモンドを買ったばかりだ。
(危ない……)
「なんか、今ちょっと変な間なかった?」
「えっ? いや、別に!」
「そ?」
瑞樹はあまり気に留めなかったようだが、大也は冷や汗をかいていた。
実は瑞樹も、大也に言っていないことがあった。茜を通じて、古田を紹介されていたこと。そして、彼女の話を聞く中で、プロポーズについて考える機会があったこと。
お互い、言いたいけれど言えない秘密を抱えたまま、時計選びを続けた。
「ねえ、あのSEIKOのルキアって時計、すごく素敵じゃない?」
瑞樹が指差したのは、シンプルながらも上品なデザインの国産時計だった。
「SEIKOか……。瑞樹がつけてるのもSEIKOだよな?」
「うん、社会人になった時、お父さんが買ってくれたの。確か6万円くらいだったかな」
「そうなんだ……」
大也は少し驚いた。瑞樹の価値観に触れる機会はこれまでにもあったが、こうして金銭感覚や物を選ぶ基準を知るのは新鮮だった。
「しかもね、この時計のイメージモデルが女優のエライザちゃん、真珠ちゃんみたいな雰囲気の女優さんがアンバサダーやってるの」
「へえ、そうなのか」
「こういう時計なら、きっと真珠ちゃんにも似合うと思うな」
大也はしばらく黙っていたが、やがて頷いた。
「……じゃあ、これにしよう」
「え、いいの?」
「うん。なんか、結婚ってこういうことなのかもなって思ってさ」
「ん?」
「価値観のすり合わせっていうか……。俺、最初は機能やスペックばっかり考えてたけど、大事なのはそういうことじゃないのかもなって」
瑞樹は目を丸くして、それからふっと微笑んだ。
「大也、少しは成長した?」
「かもな」
そんなやりとりをしながら、大也はまた一つ、結婚についての理解を深めた気がした。
登場人物:大越大也(おおこしだいや)埼玉県大宮市出身の30歳、趣味はドライブと釣り、行動力が有り何事もまずはやってみるタイプ。
松本瑞樹(まつもとみずき)神奈川県出身29歳、高校時代は名門野球部のマネージャーだったお姫様キャラ。慎重派でよく考えてから行動するタイプ。
瑞樹の友人の茜(あかね)29歳、瑞樹とは高校時代からの地元の友人で気心が知れている。大也とも面識が有り
茜の友人古田あやか(ふるたあやか)茜の大学時代の友人、ブリッジ銀座のスタッフでJJA公認ジュエリーコーディネーター年間100組以上のサプライズプロポーズをプロデュースしている。
山本健司(やまもとけんじ)大也の会社で同期の同僚、同期の中でいち早く結婚に踏み切った。お相手は高校時代からの彼女。
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