旅館の部屋に戻ると、窓の外にはしっとりとした夜の景色が広がっていた。しとしと降っていた雨は止み、障子を開けると、ほのかに湿った空気が部屋に流れ込んできた。
「ふぅ、やっぱり温泉街の夜っていいね。」瑞樹は浴衣の袖を軽く振りながら、大也の方を見上げる。
「そうだな。」大也は荷物を片付けるふりをしつつダイヤモンドの箱を荷物にしまった気が付かれてないことを確認するように、チラリと瑞樹に視線を向けた。
部屋の中央には、二人のために用意されたお酒とおつまみが並べられていた。大也は瓶ビールを開けると、瑞樹のグラスにそっと注いだ。
「乾杯。」グラスを軽くぶつけ合いながら、瑞樹と大也は伊香保温泉での一日を振り返っていた。
部屋の中にはほのかに和の香りが漂い、テーブルには旅館特製の地酒とおつまみが並んでいる。瑞樹は頬を少し紅潮させながら、くすっと笑う。
「うん、乾杯。」
再びグラスを軽く合わせ、一口飲むと、二人とも自然と笑顔になる。
「楽しかったね、今日。」瑞樹はクレープを食べた時のことや、石段街でのお土産探しのことを思い出しながら、ゆっくりと語る。
「うん。まぁ、予定通り……とはいかなかったけどな。」大也は苦笑いしながらも、瑞樹の目をまっすぐに見つめた。
「ふふ、あれには驚いたね。」瑞樹はくすくす笑いながら、例の公開プロポーズの話題を持ち出す。「まさかあんなドラマみたいな展開になるなんて。」
「……ほんとにな。」大也はどこか複雑な表情を浮かべる。
「でもさ……」瑞樹は意味ありげに大也を見つめた。「伊香保神社、結構雰囲気よかったよね?」
「お、おう。そうだな。」大也はドキッとしながら返す。
「ちょうど誰かのプロポーズも見ちゃったし……。」
瑞樹の声はどこか含みを持っている気がした。しかし、大也はその言葉の真意を深く考えすぎないようにして、ただ笑って誤魔化した。
瑞樹はその表情を見て、大也の考えていたことに気づいていた。でも、あえて何も言わず、ただ隣に寄り添う。
「でも、すごくロマンチックだったね。」
「……ああ。」大也はグラスを傾け、ぐっと喉を鳴らした。
「ふふ、大也がここまで旅行計画しっかり立てるなんて珍しいから、私、ちょっと驚いちゃった。」
「そりゃ、たまには頑張るさ。」
「うん、今日は本当に楽しかった。ありがとう、大也。」
そう言って瑞樹は微笑む。その顔が、やけに穏やかで優しかった。
——気づいてる?いや、気づいてないフリをしてる……?
大也の胸がざわついた。でも、この心地よい夜を壊したくなくて、彼もまた笑顔で応えた。
二人は他愛もない会話を続けながら、少しずつお酒の力も手伝い、距離が縮まっていく。瑞樹が酔ったように頬を染めながら大也に寄りかかると、大也はそっとその肩を抱いた。
「ねぇ、大也。」瑞樹は甘えるように大也の浴衣の襟を引っ張る。
「ずっと、こんな時間が続けばいいのにね。」
「……続くよ。」
瑞樹がそっと微笑み、大也の頬に手を添えた。二人は自然に唇を重ね、そしてそのまま、互いの熱を求め合うように深く抱きしめ合った――。
瑞樹は心地よさそうに大也の腕の中でくつろいでいた。
「大也って意外とロマンチストだよね。」
「そうか?」
「うん。普段はあんまりそういう素振り見せないのに。」
「……まぁ、たまにはな。」
瑞樹はくすくすと笑いながら、大也の胸に頬を寄せた。
「なんか、夢みたいな一日だったなぁ。」
「まだ終わってねぇよ。」
「え?」
瑞樹が顔を上げると、大也はどこか考え込むように天井を見つめていた。
瑞樹が何を思っているのかうすうす分かっていた。だが、大也は気づかないふりをした。
——彼女は気づいている。今日、プロポーズしようとしていたことに。
だが、それを口に出さずに、こうして何事もなかったように旅行を楽しんでくれている。その優しさが、逆に胸を締めつけた。
「明日はどうする?」大也がわざと明るい声で話題を変える。
「んー、ゆっくり朝ごはん食べて、チェックアウトして……どこか寄り道する?」
「赤城山とか、榛名湖とかもいいな。」
「いいね。でも、天気次第かな。」
瑞樹は伸びをしながらベッドに倒れ込んだ。「ふぁー……。やっぱり温泉入ると眠くなるね。」
「おう、寝るか。」
「うん。」瑞樹は布団を整え、毛布を肩まで引き上げる。そして、大也の方をちらりと見て、「おやすみ」と微笑んだ。
「おやすみ。」
瑞樹の寝息が静かに聞こえ始める。
だが、大也は目を閉じてもなかなか眠ることができなかった。
予定していたプロポーズは叶わなかった。
だが、彼女の優しさに甘えて、このまま何事もなかったかのように帰るわけにはいかない。
そう思うと、胸の奥がざわついた。
「ちょっと外、見てくる。」独り言のように呟いてベッドを出ようとすると
「え、どうしたの?」瑞樹もまだ眠りに着けずに居たようだった
「いや……なんか、気になって。」
そう言って、大也は浴衣の帯を締め直し、バルコニーへ向かった。障子を開けると、先ほどまでの雨が嘘のように上がっており、夜空には満天の星が輝いていた。
「……うわ。」
思わず息をのむほどの美しい光景。夜空を見上げた瞬間、その美しさに目を奪われた。
驚くほどの星の数。まるで天が舞台を用意してくれたように、夜空が輝いていた。
「——大也?」
突然、背後から瑞樹の声がした。
驚いて振り向くと、瑞樹がバルコニーの入り口に立っていた。
「寝れないの?」
「あ、いや……ちょっと外の空気吸いたくて。」
「ふふ、私も。」
瑞樹はそっと大也の隣に並び、夜空を見上げる。
「綺麗だね。」
「ああ、こんなに星が見えるなんてな。」
「すごい……こんなに星が綺麗だったんだ。」
「晴れ男の力、発揮したな。」大也は冗談めかして言った。
瑞樹はくすっと笑いながら、大也の腕にそっと手を絡める。
「ねぇ、大也。」
「ん?」
「なんでもない。」
「なんだよ、それ。」
「ふふ。」
瑞樹は大也の肩に寄りかかり、しばらくそのまま二人で夜空を見上げていた。
しばらく二人は言葉を交わさず、ただ空を見上げていた。静かな夜の中、心臓の鼓動だけが大也の耳に響く。
——今だろ。言うなら、今しかない。
大也はそっと息を整え、ゆっくりと口を開いた。
「瑞樹——」
そう切り出すと、隣にいる瑞樹は驚いたように彼を見つめた。
彼女の瞳は、夜空に負けないほど澄んでいた。
登場人物:大越大也(おおこしだいや)埼玉県大宮市出身の30歳、趣味はドライブと釣り、行動力が有り何事もまずはやってみるタイプ。
松本瑞樹(まつもとみずき)神奈川県出身29歳、高校時代は名門野球部のマネージャーだったお姫様キャラ。慎重派でよく考えてから行動するタイプ。
瑞樹の友人の茜(あかね)29歳、瑞樹とは高校時代からの地元の友人で気心が知れている。大也とも面識が有り
茜の友人古田あやか(ふるたあやか)茜の大学時代の友人、ブリッジ銀座のスタッフでJJA公認ジュエリーコーディネーター年間100組以上のサプライズプロポーズをプロデュースしている。
山本健司(やまもとけんじ)大也の会社で同期の同僚、同期の中でいち早く結婚に踏み切った。お相手は高校時代からの彼女。
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